村田希巳子
総目次
ボストン近郊の鳥たち(その1)
2011年3月21日から10日間、アメリカに出張に出かけることになった。目的地は、ボストン(東海岸の北部に位置する)近郊の図書館と博物館。アメリカ19世紀の作家たちの資料収集の旅だ。だが、冬は観光もオフシーズン。やる気のない図書館や博物館は、朝10時(または、11時)からしか開かないし、何と閉まるのは16時(たまに17時もある)なのだから驚きだ。ということは、それ以外の時間(朝6時半から10時までと、16時から19時まで)は、探鳥に行きなさい、という意味だと私は勝手に解釈した。
アメリカに行く前に、『ニューイングランドの鳥たち』(Birds of New England by Fred J. Alsop Ⅲ)という図鑑を入手した。これを全部見てやろう、という意気込みで出発した。
21日(月)の朝、出発。13時間でシカゴに着き、乗り換えて2時間飛んでようやくボストンに着く。時間は、日付変便線があるので、やはり21日(月)の昼だった。日本では、夜中の1時のはずなのに、ボストンでは昼の2時だ。長い1日だ。
私を一番に迎えてくれたのは、おなかのオレンジが鮮やかなコマツグミ(American Robin)だ。英名をそのまま訳して、アメリカコマドリと和名がつくのかと思えば、和名はコマツグミなのである。色はコマドリと同じなのだが、ツグミ科なのでそう名づけられたのだと思うが、夢がなくて残念だ。このコマツグミは、人懐っこく、あまり警戒心がない。体長25センチのこの鳥に会うと、アメリカに来ていることを実感する。実は、この鳥は、アメリカ本土だけでなく、ハワイ、カナダでも出会った鳥だ。日本のコマドリと違って動作が鈍く、ちょっと耳ざわりな(ここが違う!)大きな声で鳴く。どこにでもいるので、まずこの鳴き声を覚えて聞き分けておかないと、他の鳥の声が聞こえてこない。ボストン市内のハーバード大学の校庭にもたくさんいた。おなかが丸く膨らんで、みんな丸々と太っていた。
22日(火)。今日は、列車に乗ってコンコード(マサチューセッツ州)の町に行く。ここは、多くの作家たちが住んで、数々の傑作を書き残した場所だ。彼らの墓も残っている。作家たちが、どんな環境で傑作を書いたのか、どうしても見ておきたい。それと作家たちが、当時どんな野鳥を見ていかに自然を慈しんだのか。私の興味は、むしろこちらにあった。
コンコードは、アメリカの独立戦争が始まった所でもある。一般的には、独立戦争は、ボストン茶会事件、ボストン虐殺などを契機にボストンで始まったと思われているが、事実上の戦争開始は、コンコード川にかかるノースブリッジという橋だとされている。この橋は駅から20分ぐらい歩いたところにある。多くの作家たちも、その辺りに住んでいた。
そこへ向かう途中、あちこちの家の庭に鳥のエサが置かれていることに気が付いた。透明のペットボトルを逆さにして、ヒマワリの種をぎっしり詰めて、エサ台の上に掛けていた。そこに集まっていたのが、頭と胸が赤いスズメに似た鳥、ベニヒワ(Common Redpoll)だった。北海道でもベニヒワを見たが、そちらは胸がピンクっぽい赤で12センチ。アメリカのは、朱色っぽい赤で、図鑑によると13〜14センチだった。ここでまたお会いできるなんて、感激だ。ベニヒワは、ボストン市内でも何度も観察できた。
次にキツツキだ。コゲラの大型のようなキツツキがいた。セジロコゲラ(Downy Woodpecker)だ。コゲラに比べて、胸が真っ白だ。17〜18センチの大きさで、コゲラの15センチに比べると2〜3センチも大きいのに、アメリカでは一番小さいキツツキなのだ。
アメリカは、何でもスケールがでっかい。飛行機の中に、体の大きなアメリカ人たちがいると、飛行機が小さく感じられる。そして彼らはきまって暑さ5センチくらいの馬鹿でかい本を片手にやすやすと持って、本を読んでいるのだ。日本人なら、旅行には薄くて小さい本を選ぶ。誰もあんなに重たい本なんて持って行かない。アメリカでは、鳥まで体格が大きい。きっとジャンボドーナツか、ジャンボアイスクリームを食べているに違いない、と思った。
(「北九州野鳥」2011年5月号より転載 ※「北九州野鳥」は日本野鳥の会北九州の会報)
ご意見・ご質問はこちらへ