村田希巳子
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ボストン近郊の鳥たち(その4)
魔女の町セイラムでは、たくさんのカモメにあったが、目新しい鳥に出会えなかった。けれどもここセイラムで、とても驚かされることがあった。街中の車が行き交う交差点の真ん中で、浮浪者のように見える老人が、大きな紙に何かを書いて、1台1台の車に訴えかけていた。きっと「お金を恵んでくれ」とでも言いたいのかな、と思いながら、さり気なく書かれているものを読んだ。
すると愕然とした。紙には自筆で、「セイラムと東京の大田区は、姉妹都市である。あんな大震災があったのに、なぜ我々は、すぐに日本を援助しないのか?」と書かれてあったのだ。心から感動した。その老人のところに行って、「私は日本人です。ありがとう」と激しく握手した。その老人は、「うん、うん」とうなずいて、また忙しそうに通りすがりの車に向かって、訴えていた。
それからも、たくさんの見知らぬ人から、「あなた日本人? 大丈夫でしたか?」と声をかけられた。みんな、本気で日本のことを心配してくれているのだ。本当にうれしかった。
3月25日、セイラムを後にし、これからいよいよ文学的にも、野鳥的にも私が最も期待している島、ナンタケット島に向かう。1851年、ハーマン・メルヴィルは、この島を舞台にアメリカ文学の最高傑作ともいわれる『白鯨』を書いた。この島は、18世紀前半までは、捕鯨業で一世を風靡していた。今では、避暑地として知られ、クジラウォッチングや、アザラシウォッチングで賑わうところでもある。ハリウッドの映画にも、有閑階級の別荘地としてよく登場する。しかし、今は厳寒の季節で観光客は皆無であり、博物館も開いているのかどうか不安だった。
まず、ハイアニス港から、ナンタケット行きの高速船に乗船。わずか1時間の船旅である。けれどもそれは、とても忘れられない旅となった。
ハイアニス港付近には、おびただしい数のウミアイサ(Red-brested Merganser) がいた。日本のウミアイサ(55センチ)よりも少し大きい感じがする。カモメは、セグロカモメが群れで飛び、たまにオオカモメもいるくらいだ。ウミアイサの群れの中に、高速船と平行に飛んでいく鳥が、何羽もいる。必死に双眼鏡で見ていると、船乗りの一人が、私にいろいろ話しかけてきた。彼は、野鳥が好きで船乗りになったという。彼にニューイングランドの野鳥図鑑を見せると、とても喜んで、すぐに買おうと言っていた。たくさん図鑑を持っているが、私の持っている図鑑のほうがわかりやすいとのこと。日本人の私が、アメリカ人にアメリカの図鑑のことを教えてあげたのだ。ちょっと得意な気持ちになった。
この彼が、目の前に飛んでいる鳥のことを丁寧に教えてくれた。まず、クロガモ(Black Scoter)の集団に出くわした。そしてその中に、ビロードキンクロ(White-winged Scoter)とアラナミキンクロ(Sur Scoter)が交じっていた。彼の説明によると、ビロードキンクロのほうが大きく、飛ぶと白い羽が見える、とのことだった。一羽ずつ、あれは、ビロキン、あれはアラキンと教えてくれるのだが、なんせ高速船で、揺れも大きく、あっという間に過ぎていくのが恨めしかった。
ナンタケット島に近づくと、ヒメハジロ(Bufflehead)が、あちこちに浮かんでいた。北海道に行ったとき、嵐の中で、そこにいるとわかっていても、波がひどくはっきりと見られなかった鳥だ。今回は、うっとり、ゆっくり見られた。北海道の仇を、ナンタケットで討つことができた。ヒメハジロは、頭の後ろと胸が真っ白で、前頭と背中が光沢のある黒の美しいカモだ。島にいる間、この鳥にいつでも会えることが、この上なく幸せだった。
もうすぐ、ナンタケット島に着く。船乗りのジェントルマンの彼ともお別れだ。彼に、「今度来るときは、活気のある夏に来ますね」と言うと、「なぜ夏なんかに来るの? この島は、夏は観光客であふれていて、毎晩浮かれ狂っている。冬は、観光客はいないし、多くの冬鳥に会える。今が最高だよ」と言った。そうなんだ。誰も行かない時期に行くことにとても不安を感じていた私だが、バーダーとしては、最高の時季に行き合わせたのだ。急に旅の展望が開けてきて、元気になった。この島の鳥を全部制覇してやろうという気になった。
(つづく)
(「北九州野鳥」2011年8月号より転載) ※「北九州野鳥」は日本野鳥の会北九州の会報)
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