明けて10月17日、まさに快晴。足白の林檎村にて昨夜のログハウスの懇談会の賑やかさを思い起こしつつ、6時に起床し、早朝のバードウォッチングを野鳥の会メンバー4人と敢行。昨夜の主人公柳生会長はまだお休みらしい。
ロビーにストーブが入っているペンションを出ると、頭上を渡りの途中のヒヨドリが杉林を目指して駆け抜けていく。右手の栗園でホオジロが地鳴きを洩らす。すぐ下の谷川をせき止めた水場の巌にキセキレイが尾を振っている。林道に出るとキジバトの声が林檎畑から聞こえてくる。左手の梨畑の瑞枝にいたカワラヒワが電線に並んでいる。小1時間ぶらぶら歩きをしてムカゴを採ったり番犬に吠えられたりして小探鳥会は終わり。
朝食が用意されていると言うのでロビーのテーブルに行く。昨夜の飲み量に比例して食欲は分かる。きれいに食べた人はお代わりまでした有働孝士さんと私。あとは・・・。
講演は12時集合なので、それぞれ出発。中田館長が迎えに見えたのが9時過ぎ。柳生会長と竹内マネージャーと同乗してまず鮭神社へ案内する。樹齢4〜5百年のクスノキに感激されて境内に入る。ご祭神・絵馬・石碑など全て鮭尽くしのお宮に参拝され、遠賀川流域の里山の歴史の重みに感動される。黒田の出城益富山の一夜城や秋月の古処山の話を興味深く聞かれ、そういえば自分は元黒田会長から推薦されたのだとも話された。
続いて嘉穂劇場を目指す。飯塚の市街に初めて入られて河川敷のすばらしさ、アイラブ遠賀川の話そして嘉穂劇場には最も喜ばれた。丁度団体が貸し切りバスで先に舞台に入場していたのでそれを避けるように伊藤さんの奥さんが案内してくださった。小道具部屋、楽屋、奈落などを興味深げに見て回られてたいへん喜ばれた。飯塚市や市民の伝統文化を守る真心の深さに胸を打たれたようで、よくも遺されたと感動されての視察であった。
そして昼食はこのみ茶寮にご案内した。全てきれいに食べられてお元気だった。
いよいよ健康の森へ案内する。会場には6月に私たちが訪問した八ヶ岳倶楽部のビデオが流されている。倶楽部の森を歩く私たち。カッコウ・ホトトギス・ツツドリ・キビタキなどが大きな声でさえずってくれている。懐かしい思い出になるだろう。
講演が始まる前に飯塚齋藤市長と挨拶された。何を話されたかは知るよしもないが昨日今日の見聞された飯塚の自然や文化・熱い人情のことだろう。
講演は昨日150人が歩いた蓮台寺・建花寺の山の辺の里山の小道「桂の里 十兵衛の道」(仮の名だが)の話からで、筑豊の遠賀川流域には2000年も前からこのような里山が出来ていただろう。名古屋のCOP10でもNGO日本野鳥の会柳生会長が提案した「さとやま」保全は、今後の話題の中心になるはずだからこの筑豊のこの里山を「稲作伝来の地の里山」として世界に知らしめると語り始められた。モズ・ホオジロ・キジバト・ダイサギそして最後にチゴハヤブサが観察されたように素晴らしい里山だが、シギ・チドリ達が立ち寄れる水辺が少ない。一枚の休耕田に水を入れて欲しい。渡り鳥たちが渡る途中の大空から鳥瞰して水で輝く餌場や休憩地があればこの地でも絶滅の危機に瀕するコウノトリやトキたちの立ち寄れる里山になるだろうと。
水を常に入れている農耕地が、太古からあった湿地の代わりとなり、渡りのエネルギー補給地や休憩地の代役を果たすことになる。まずコウノトリやトキをと願わずにシギ・チドリ達が立ち寄れる環境をつくり、それが果たされて次の段階で安心してその他の野鳥が立ち寄れるようになれば、自ずと目的が叶うようになると言われる。
それには森や田畑の草を刈って欲しいとも言われた。手入れの行き届いた森や田畑には沢山の野鳥がやって来る。見通しが利き、風が通り、人も野鳥も心地よくすごされる。間伐をし、荒れた森の手入れをすること。孟宗竹の林の手入れもその一つ。傘を挿したまま通れる竹林こそ理想的だ。
柳生家の掟の一つに13才になったら1ヶ月の修行の旅に出るという決まりがあるらしい。先祖の柳生十兵衛の武者修行もそれらしい。ともかく柳生会長もその掟通りに旅に出た。茨城県の霞ヶ浦の代々の庄屋で地主であった柳生家の皆さんに見送られて、南北の距離的に計った日本の中心地と思われるあたりを旅したかったと。そこが八ヶ岳の今の居住地で、元は開拓地として戦後の引き揚げ者達が競って開墾し、農業や酪農に挑戦していたらしい。千曲川添いの小海線の駅に寝泊まりしての旅で開拓農家にも泊めてもらい、お祖父さんから教えて貰った農業の技を教えてあげたとか。例えば傘をさして通れる竹林間伐などがそれだ。そのほかいろいろ、開拓の人たちと仲良くなり、無事一ヶ月の武者修行終了。
今では俳優として、また、自然環境保護活動家として知られるようになっているのは、私生活で30年にわたる雑木林の植林再生に努力した功績が認められ、コウノトリ保護のフアン倶楽部会長としても知られ、COP10の日本代表としての発言「さとやま」論が問われるからだ。
八ヶ岳は落葉樹が多く、飯塚のような常緑樹は少ない。僅か栗の木があるのが共通で、樹相は全く違う。筑豊の竹林の荒廃振りはひどく、竹は根が浅いので一角がくずれると雪崩れるように土砂もろともに崩れるという。竹林の管理をし、人工林の下草を刈り間伐をする。熊野の古道も今は人工林の管理不足で冷たく淋しい人工林になっている。いつ土石流を起こすかわからない。筑豊も同じ。桂の木に会えなかったのはそのせいだろう。森には太陽の光を十二分に入れ、生物の多様化こそ望ましい。
兎に角、今からは冬でも田に水を入れて欲しい。いろいろな決まりや困難があるだろうが百枚の内十枚、いや一枚で良いから水を入れる努力を農家の人はしていただきたい。それをみんなで応援すること。会場に花を生け込んでくれた嘉穂総合高校の生徒達にまじめに本気で訴えられていて、お祖父さんやお父さんに相談しなさいよと若い人に強くアピールされた。それを応援する仕組みも大事で、野鳥の会筑豊会長には、もしそれが実現したら調査報告をかならずしなさい、そしてまた私を呼んで「桂の里 十兵衛の道」を歩きましょうと結ばれた。
(「野鳥だより・筑豊」2010年11月号通巻393号より転載)
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