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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2024-09-17

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録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

鳴き声録音・韓国の野鳥に初挑戦の記(第五回)

前回の終わりに、全羅南道の道都である光州市のバスターミナルから乗り換えて、朝鮮半島の最も西南部と言ってよい、いわば最果てに位置する港町・モッポ(木浦)へ行くことにした、とそこまで書きました。

今回の韓国野鳥の声録音の旅では、街から街にバスで移動して、そこから路線バスなどに乗り換えて、その街の有名寺院を巡る旅をしたのですが、二ヶ所だけ野鳥のことは忘れて、折角初めて韓国を旅するのだから、以前から私の心の奥にしまっていたこだわりの街にも行ってみたいと思っていました。

その一つが第三回に書かせていただいた、百済王朝最後の都となった忠清南道の扶餘(プヨ)の街でした。ここでは、野鳥とは切り離して、古い時代からわが国とも繋がりが深かった百済の滅亡の地をこの目で見ておきたいと、最後の王宮があった、そして悲惨な戦場となった扶蘇山を訪れてみたら、史跡を辿っていにしえの出来事に思いを馳せることができただけでなく、実際にはとても野鳥が多くて、コウライキジの声や、カササギ、オナガの声が一緒に録音できるなど、想定外の拾い物をすることができました。

さて、今回私の韓国旅行「こだわりの街・その二」は木浦(モッポ)と言う、私のイメージでは韓国西海岸、多島海に面した最果ての港町でした。なぜモッポなのかと言うと、若い皆さんはもちろんご存じないのですが、もう今から半世紀以上も前、私が小学生高学年だったと思います。ラジオから毎日聞こえてくる「気象概況」(気象通報だったかもしれません。)と言う漁業者向けの天気情報で、いつも耳にする地名で今も鮮明に残っているのがモッポなのでした。

その気象のニュースでは日本と、日本を取り巻く国々のおもな地名をあげて天候や風の状況、気圧などを延々とアナウンサーが読み上げていました。登場する地名は、今も記憶にあるものでは日本では北海道の浦河、根室、稚内、外国ではアモイ、大連、敷香(シスカ、今のロシア・サハリンのボロナイスク)、ウラジオストク、ハバロフスク、そして朝鮮半島ではウルルン島、モッポなどです。

実際のアナウンスでは例えば「アモイでは東北東の風、風力3、快晴、気圧1015ミリバール」などと次々と読み上げていきます。まだテレビの無い時代、少年だった私の耳にこれらの知らない外国の町の名はとても興味をそそられ、毎日聞いても不思議と飽きなかったものです。一台しかないラジオで変な放送を聞く子供は、おそらく家族にとってはいい迷惑だったことでしょう。

そうした外国の地名の中で、なぜか私の心をひときわ捉えたのがモッポです。もちろんその街がどこの国にあってどんなところか知る由はありません。たぶん「モッポ」という音になにか惹かれるものがあったのでしょう。モッポが漢字では木浦と書き、韓国全羅南道の西部にある港町で、多島海に面して昔から韓国西海岸で最大の漁港であること、戦前は日本人が多く住んだ町だった、などが分かったのはずっと後年になってからです。

韓国では歴史的にも東側が政治、経済で長い間優位な状況にあり、例えば港町を比較しても、東の釜山が世界的な物流の拠点であるのに対して、西のモッポは今ひとつ冴えない、大きい漁港の町の印象があります。それだけに旅情を誘われる街ではないか、一時代前の韓国の良さが港の町並みにも、人情にも残っているのではないか、そんな期待があって、いつの日にか韓国に行く時は、ぜひモッポを訪ねてみたいものだと思うようになったわけです。

さらに野鳥に関することでは、今では福岡周辺の港町のほとんどで見ることが難しくなった、私が大好きな鳴声で鳴く鳥、イソヒヨドリがまだ多くいるかもしれないという楽しみもありました。

私の乗った光州からのバスは、6月3日午後4時過ぎにモッポのターミナルに到着。タクシーでとりあえず港に走り、海岸から程近いモーテルに投宿しました。荷物を降ろして整理するのもほどほどにして、早速宿を出てまずはモッポ港の玄関口である客船の着くターミナルに向かって歩いてみます。西海岸の静かで落ち着いた港町を想像して歩いて行ったのに、まずはじめに私の眼前に現れたターミナルビルには度肝を抜かれてしまいました。強烈なカウンターパンチを見舞われた感じです。

博多港の船舶ターミナルビルも立派ですが、あんなものではありません。巨大な円形の超モダンなホテルのような外観で、大きさも遥かに大きそうです。

この第一体験で、これまで私がモッポに抱いてきた、淡い憧れの港町のイメージは吹っ飛んでしまいました。さらに驚いたのは、港に係留され、ひしめいている大型の客船やフェリーの数とそのモダンなデザインのかっこよさです。

古い漁船がポンポンポンと焼玉エンジンの音を小気味良く出して、港を出入りしている私の頭の中の港は、とうの昔に消えうせて、モッポは近代的なデザインと機能と大きさを持った観光船がひっきりなしに出入りする一台観光港に姿を変えていました。

私はあまりにも期待はずれの景観にガッカリして、仕方なく港に沿った道路の反対側にずらりと立ち並ぶ、観光客のための海鮮料理店の前を歩き出しました。

どの店も店頭には大型の水槽を沢山並べて、タイ、スズキ、ハタ、イカ、タコなどを泳がせて客引きのおばさんが店頭で通りかかる人に大声で呼びかけます。その一人に聞いてみると、なんでもほとんどの客はソウルなど北からインチョン(仁川)港からの船で来る観光客だそうです。同じような店が何十軒も並んでいる光景に飽きて、反対側の海岸通に渡って今度はよく整備された港に面した遊歩道を歩いてみます。港の海水の色はほとんどドブのような色で、腐った魚の匂いともに死んだ海独特の悪臭が一杯に漂っていて、ものの10分も歩くことができず、結局深い失望感を味わっただけで、近くの店でそこそこに夕食をすませ、宿に帰りました。

翌朝、イソヒヨドリの姿を求めて、港からもっと南へ海岸線に沿った道を数キロ行った海辺の公園に行って見ました。しかし、そこでも事情はそんなに変らず、イソヒヨドリはもとより、トビやカモメ類の姿もほとんど見ることはできません。

観光客に人気の、自然の岩が侵食された人の形をした不思議な岩があるところでも、海の色は少しは透明感がありましたが、生物がいる気配がまるで無く、岩を這っていることを期待した「フナムシ」もついに一匹も見ることはできません。

そんなわけで、私の憧れの港町・モッポは幻影に過ぎませんでした。失意だけが強く私の心に生じて、一時も早くこの港町をあとにしようと、午前早めには次の目的地である全羅南道・順天(スンチョン)市へ向かうことにしました。

私の韓国旅行がもしも観光目的であれば、モッポ(木浦)からスンチョンに行くために乗り換えるバスターミナルがある光州市は、できれば1〜2泊ゆっくりと見て周るところが多くある街ですが、後ろ髪引かれる思いを断ってスンチョン行きのバスに乗り換えました。たまたまこの日は土曜日で、月曜日が韓国国民の休日(戦没者を追悼する日)のために三連休となってしまい、ターミナルは大混雑。20分ごとに出るバスに乗るのに長蛇の列に立ったまま並ぶことになってしまいました。バスが高速道を走るために座席が埋まると、それ以上は乗車できません。バスが出るたびに列は前へぞろぞろと移動します。広いターミナル構内をほぼ一周してやっと目的のバスに乗ることができました。

全羅南道・順天市(スンチョン)から行く次の寺院は、この地方の名刹である曹渓山・松広寺です。

モッポでの後味の悪さを早く忘れる意味でも、早く山に入って鳥たちの声を聞きたい一心で、松広寺の門前に宿を取り、急いで夕暮れが近い山深い参道を寺に向かいました。

(「野鳥だより・筑豊」2011年12月号 通巻406号より転載)

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