田中良介
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鳴き声録音・韓国の野鳥に初挑戦の記(第七回)
前回では、全羅南道の名刹の一つ、順天(スンチョン)市から行く「松広寺」とそれを取り巻く山での録音では、期待度が大きかった割には私自身のレコーダーのタイマーセットのミスもあって、たいした収穫が得られなくて残念な思いをしたことを書きました。
しかし、一台だけ正常に録音されたレコーダーを聞いてみると、未明(午前3時頃)の寺院の様子が入っていて、この時間帯にはもう僧侶たちが起床して、朝課(朝のお勤め)に励む様子が伺い知れて驚きました。前日の夕刻に聞いた素晴らしい大太鼓の音もマイクとの距離があるために明瞭ではないものの、なんと午前3時半には鳴りはじめ、続いて梵鐘も同じように真っ暗な山々に響き渡っている様子が手に取るように聞こえます。
野鳥たちの声もします。やはり距離が遠くて、実際には使えないレベルの音ではありますが、午前3時過ぎにはもうジュウイチが目を覚まして鳴き始めています。
梵鐘が鳴る頃にはトラツグミも鳴き始めました。こんなことなら、もう少し太鼓と梵鐘に近いところにマイクとレコーダーをセットしておけば、ジュウイチとトラツグミ、それと僧侶たちが真っ暗な早朝に打ち鳴らす太鼓や梵鐘との見事なコラボレーションが録音できたかもしれないと後悔したほどです。
やがて5時頃になるとシロハラが目覚めて盛んに囀り続けます。コウライウグイスとコウライキジ、カラ類などは意外と朝寝坊であることが分かって面白かったです。
それともう一つの発見は、セグロカッコウがシロハラと同じ時間に目覚めてよく鳴きましたが、日中や夕方に比べると、鳴声のテンポがはっきりと遅いことにも気がつきました。目覚めた直後は体内ホルモンの巡りがまだ十分ではないために、このようなテンポの遅い鳴き方になるのかもしれません。
私の期待する収穫とは、おもにはコノハズクのことですので、結果が得られなかったといっても、未明の時間帯からの録音には以上のような興味深い音が入っていて、ここ松広寺での結果にまったく落胆したわけではありません。
さて、そんな松広寺とバックにある山に別れを告げて、次の目的地である同じ全羅南道・求礼(クレ)市から行く智異山・華厳寺(ちりさん・けごんじ)に着いたのは、6月5日の午後早い時間でした。
華厳寺(韓国読みはファオムサ)は、智異山国立公園の山懐に抱かれる、これも広い伽藍を有する名刹です。そしてここの素晴らしいところは、大自然の広さと豊かさにあります。智異山国立公園は、慶尚南道、全羅北道、全羅南道の三道にまたがる韓国最大の国立公園です。
ちなみに韓国最高峰は、済州島(チェジュ)にあるハルラ山1950mですが、智異山はそれに次ぐ韓国第2の高峰で、1910mの高さを誇ります。その他1500m級の山々が峯を連ね、雄大な自然と深い信仰に支えられ、仏教徒のみならず、多くの登山愛好家や自然で憩う家族でのレジャーで韓国でももっとも人気の高い一帯です。
その山に囲まれた華厳寺の門前村にある宿に着くまでには、また一苦労しました。何分にもその日が、戦没者を悼む国民の休日を入れての三連休の中日の日曜日だったので、簡単に空いた宿が見つかりにくい条件が揃っていたのですが、幸い求礼(クレ)のバスセンターの一軒の店に親切な、少し英語が話せる若い女性が、私の相談に乗ってくれ、麓のペンションを確保してくれたばかりか、一緒にタクシーでペンションまで案内してくれました。もし、彼女に出会えなければ、門前村での宿も確保できず、途方にくれたかもしれません。今回の旅ほど「捨てる神あれば、拾う神あり」という古い諺と、人の親切のありがたさを実感したことはありません。
笑顔を絶やさない若い女性のおかげで、やっと見つけることのできた宿に落ち着くと、ベッドにどさっと倒れこみ、バスに揺られての移動と、ここまでたどり着くまでの道中の気苦労と肉体的な疲労を休めます。
明け放たれた窓からは、宿の周りに植えられた木々の緑が見え、爽やかな風が吹き通って癒されます。しかし、その風に乗って、ほんとうなら人の少ない自然豊かな静かな場所に相応しくないガヤガヤとした騒音が聞こえて来るので、「一体何の音?」と窓の外を見てビックリ。数軒並んだ宿 (この村では、珍しくペンションと呼んでいた)の外れは河になっていてその向こうには広い空き地があります。その空き地にはなんと、人、人、人。車、車。そしてテント、テント。
本来なら、第二次大戦や朝鮮戦争の犠牲者の鎮魂のための三連休なのに、もともとの趣旨はすっかり忘れられ、今では完全に国民の祝日のようになってしまっていて、多勢の家族ずれがレジャーを楽しむ機会になってしまっているようなのです。
この賑やかな光景を見て、私は少なからずショックを受け、失望しました。折角はるばる自然豊かで知られる智異山までやってきたのに、これでは山の鳥たちも驚いて山奥に隠れてしまうに違いないと思ったからです。
それでも折角来たのだからと、気を取り直して、重い荷物を整理して宿に置き、歩いて寺(山)への道を急いで登ります。例によって、ここ華厳寺でも夕方には修行の一環としての大太鼓と梵鐘が打ち鳴らされるので、まずそれを録音した後、夜間と早朝に鳴く鳥を録音するレコーダーを設置するためです。
宿から寺の入り口までは、緩い登り坂を40〜50分も歩かなければなりません。やっと寺に着いた時には、息はゼーゼー、ハァーハァー、汗びっしょりでした。
そうしてたどり着いたこの有名寺院の境内と周辺にも、残念なことにまたもやレジャーで訪れた人、人、人でいっぱいです。この状況を見て私の疲労は倍加します。
このあと、ここで一人の日本人と出会うことになります。これも驚きなのですが、この寺院に住んで、精進料理を研究しているという大阪出身の青年でした。寺の売店の女性店長の引き合わせで会うことができたこの青年は、ニコニコして現れ、いろいろと私の質問に答えてくれました。そのうち私にとっての大事な一つの質問は、この寺院の背後に広がる山々にコノハズクがいるか、と言うことです。彼は早速一人の若い僧侶を呼んでくれました。そのお坊さんにレコーダーに入れておいた声を聞いてもらうと「ああ、この鳥はソゲチと言って、この付近の山には間違いなくいます。そして夜になると鳴いていますよ。でも、今晩は期待できないでしょう、なにしろこの人出ですから。きっと遠い山の奥に逃げていったことでしょう」と私の戦意がますます萎んでしまうことを言います。
そうこうするうち、鼓楼で太鼓が鳴りはじめました。リズミカルで力強い音が間近で録音しつつ聴く私の心の中に響きます。日本人青年が私の耳元に囁いてくれます。「よかったですね。今日の打ち手は皆上手な人ばかりですよ。」太鼓が終わると今度は梵鐘が鳴り響きます。しかし、その間中も、参拝の為に来たのではない多くのレジャー客が無礼にも大声を出して、境内を歩き回り、写真を撮りまくっています。私のように宗教を持たない人間でも、思わず頭を垂れて神妙な気持ちになり、不動の姿勢で聞き入っているというのにです。
梵鐘が鳴り止んだ後、終始にこやかに私の相手をしてくれた大阪出身の好青年に謝意を述べ、握手をして分かれた後、駄目もとで、寺の両側の登山道にそれぞれレコーダーを仕掛けてから、薄暗くなった道を下山しました。その時間帯でも、境内では人を恐れないジョウビタキが、また、帰路の参道のところどころではシロハラが鳴いていました。
韓国に実際に来る前から、大きな期待を抱いてやって来たここ智異山、それなのに、運悪く三連休に引っかかってしまった。期待薄ながら次の日の早朝のレコーダーの回収に、一縷の望みを繋いで門前村に暗くなった頃やっと帰り着き、村の食堂の一軒に上がりこみ、例によって冷たいビールで生き返りました。華厳寺での結果、そして私が一日余分に滞在した門前村でのお話は、また次回にて。
(「野鳥だより・筑豊」2012年2月号 通巻408号より転載)
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