田中良介
目次
鳴き声録音・韓国の野鳥に初挑戦の記(第八回)
前号では慶尚南道、全羅北道、全羅南道の三道にまたがる広大な山岳地帯・智異山(ちりさん)国立公園の一画にある、韓国内でも知名度の高い名刹である華厳寺の夕刻、両側の山中に二台のレコーダーにタイマーを仕掛けて設置して山を下りたところまで書きました。録音のターゲットは、未だに明瞭な録音が取れていないコノハズクです。
ところが、この日が韓国民の休日に当る三連休のまん中、つまり日曜日だったために、寺院の内外は敬虔な仏教徒である参拝者よりは、レジャーで訪れた家族ずれの観光客で溢れかえっている状況でした。そんな中で、私にコノハズクは韓国語で「ソゲチと言う」と教えてくれた若い僧侶が「これだけ人が多いと鳥たちは遠くへ逃げてしまったでしょう」と私にとってはもっとも言ってほしくない不吉な予言が残念ながら、見事に(!)的中してしまい、翌月曜の早朝に回収したレコーダーには未明の暗い時間から早くも鳴き出しているセグロカッコウやトラツグミの声以外、期待していた声はまったく入っていませんでした。
寺廟の一角に座り、早送りでそれを確かめてガックリして山を下りて宿に帰ってくると、隣のペンションのオーナーで、日本語を流暢に喋る李さんが「山での録音はどうでした?多分人が多くて鳥たちは鳴かなかったでしょう?」と、私の無念な心の中を見透かしたように声を掛けてきます。さらに「田中さん、もう一日ここに滞在しませんか、レジャー客は今日の午後には皆いなくなって、この辺りは静かになります。寺まで上がらなくても、すぐ川向こうの山でもコノハズクは鳴いてくれますよ、今夜はうちに泊まりませんか?第一、今日のバスは人が多くて乗れませんよ。」と声を掛けてくれます。
連日の強行軍で疲れもピークに達していた私は、李さんのアドバイスに従うことにして、昨夜お世話になった宿をチェックアウトします。宿の主人夫妻は「お気をつけて」と、玄関まで送り出してくれましたが、振り向くと、私がバス停への道ではなく、庭を横切って隣の李さんのペンションに向かって行くので怪訝そうな顔をしています。私は照れ笑いをして「お世話になりました、カムハムニダー」と言って隣へ引っ越しました。
隣の宿のオーナー、李さんは「夕方早めに川向こうの山に案内してあげます。それまでゆっくりと身体を休めてください」と言ってくれます。
確かに李さんの言うとおりで、「自然豊かな智異山まではるばるとやって来て、お目当てのコノハズクをはじめ、たいした収穫無しで帰ることなどとてもできない」そう思って、私は部屋のベッドに横たわって身体を休めることに専念して、あと一日、ここ智異山の麓の村の山に賭けることにしました。川向こうにテントを張っていた沢山のレジャー客もそれぞれテントをたたみ、帰り支度を済ませると一台、また一台と車に乗って帰って行きます。
そうしてほぼ人がいなくなった午後5時ごろ、オーナーの李さんが「田中さん、川向こうの山に出かけましょう。」と言ってくれます。すっかり道具類の準備を整えて待っていた私は、李さんの後について宿を出ます。少し歩くと川があり、浅瀬の石の上を渡り対岸に上がります。そこから先は緩やかな傾斜の林がずっと続いて、やがて山になっているのです。山に入る小道のところまで来ると、「田中さん、ここから先は一人で行って来てください、僕は草の中にいる虫が苦手なんですよ。」と案内をしてくれるはずの李さんは手を振って帰っていってしまいました。仕方なく一人で知らない山の中に入って行きます。小道はすぐ消えてしまい、後は緩やかな登りの草原となっています。しかし、それもやがて樹木が多い急な傾斜の山となります。
辺りでは、ここらではもう当たり前に聞こえるコウライキジ、コウライウグイス、カササギ、セグロカッコウ、カッコウ、シジュウカラ、ウグイス、コゲラ、シロハラなどの声が盛んに聞こえます。川原の広い駐車場にテントを張って騒いでいたレジャー客が帰ってしまったので、鳥たちもまた安心して鳴き出したような気がして、私の心の中には期待感が涌いてきます。
草原の左右の林の縁、山の奥に向けて二台のレコーダーを取り付けて、また深い草を掻き分けて山をおりました。そしてまた大きな岩がゴロゴロした川を渡ってもと来た道を帰ったのですが、その道すがらふと思ったのは、山の麓であれほど多勢の人たちが夜遅く騒いでいたのが、急にいなくなったからと言って、山奥に逃げていた鳥たちがそんなに簡単に戻ってくるだろうか?と言う疑問です。でもその一方で、「今夜は早めに夕食を済ませて、ゆっくりと体を休ませることができる」。結果がどうあれ、有名な智異山の麓の緑に囲まれた田舎の宿で、くつろいだ時間が過ごせる喜びのほうが大きいと思いなおすことにしました。
宿の建物のどこかに巣を作っているらしいオナガにヒナが生まれているらしく、親鳥が出入りする人間を警戒して、何度も近くにやって来て騒ぎ立てます。すぐ間近に来て「グィーッグィーッ」と大声で警戒音を出します。宿の奥さんが、「庭の掃除をしていると頭を突かれる」と笑って話をしてくれました。やはりオナガもカラスの仲間独特の行動をするようです。
さて、翌朝早く、まだオーナー夫妻が起き出す前にこっそり宿を出て、前日の夕方に仕掛けたレコーダーを回収しに山に出かけました。草薮は夜露がたっぷりと降りていて、数分進んだところでズボンも靴もぐっしょりと濡れてしまいます。
回収後は林の縁で鳴く鳥たちの声にマイクを向けて録音します。いろいろな鳥が鳴いてくれたのですが、面白かったのは、セグロカッコウのオスがそんなに距離を置かずに2羽いて、競い合うように間近で鳴いてくれたことです。ただでさえ大きな声なので、とてもクリアな録音が出来ましたが、とくに興味をそそられたのは、それら2羽のセグロカッコウの声の高さが微妙に違っていて、交互に張り合うように鳴くのですが、タイミングの関係で両方の声が重なる時があります。するとまるで二重唱を歌っているように聞こえて面白い録音となりました。その合間にすぐ近くでコウライキジも鳴きます。しかし、草原の草丈が高くて姿を見ることはできませんでした。
コウライウグイスもそこここにいて、柔らかい良い声で鳴くかと思えば、ミュウ、ミュウと一声ずつまるで子猫のような声も出します。さらには、まるでカケスが出すような、いやそれ以上に大きく激しい声で「ギャーッ、ギャーッ」と言った変な声を出し続けることがあります。
しばらくそうした録音を楽しんだ後、川の手前に戻り、川沿いの道を下流に向かってゆっくりと散歩して見ました。その後川沿いにある村の中に入って、家々が立ち並ぶ狭い曲がりくねった道を歩いて宿に戻ったのですが、ツバメも盛んに飛び交い、農耕用の牛が飼われていたり、建物が私の子供の頃に見た日本の田舎の雰囲気そのものなので、まるで半世紀前にタイムスリップしたようで、なんだかとても懐かしい思いに胸が満たされ、心が和む朝の散歩が楽しめました。
この村の中にもジョウビタキのオスがいて、朝早い時間なのにもう盛んに囀っています。
マイクを向けていると、時おり村人が通り過ぎて行きますが、皆さん一様に怪訝な顔をしています。それはそうでしよう。見知らぬ怪しい男が、狭い村の道を変な道具を手にしてウロウロしているのですから。その上、私がすれ違う人にいちいち「アンニョンハセヨ」と変な発音で挨拶するものですから、ずいぶん怪しまれたと思います。皆不審そうな顔をするばかりで、笑顔で挨拶を返す人は皆無でした。警察を呼ばれなかっただけでも良かったほうかもしれません。
村の外れの食堂で簡単な朝食を済ませた後、宿に戻り一休み。その後丁度昼にこの村のバス停から出る釜山への直行バスに乗り、思い入れの深かった智異山の麓の村に別れを告げたのでした。
釜山への所要時間は約3時間半。高速バスではなく、一般道をおもに走る路線バスだったので、リクライニングシートではありません。またシートベルトもないので、韓国のバス特有の荒っぽい運転で、体が上下左右大きく揺られるので眠ることもできません。
バスは全羅南道を過ぎ、慶尚南道を進みます。途中いくつも美しい川を渡ります。まだ両岸がコンクリートで護岸されていない川も多く、柳の木や緑の岸辺が綺麗で、水質も良さそうに見えますが、実際には昔に比べると生物多様性はずいぶんと痛んでしまって、かつては棲んでいたカワウソも今はまったくいなくなったとか、見た目と実際には大きな乖離があるようでした。
さて、前日の録音の結果を長いバスの乗車中に聞いてみたところ、やはりコノハズクは鳴いていませんでした。宿の主人が太鼓判を押してくれたのですが、多勢のレジャー客に驚いて山の奥に逃げたままだったようです。その点はガッカリでしたが、たまたま三連休の最中に訪れた私が悪いのだと自分に言い聞かせ、またの機会を作りたいと思った次第です。
午後3時半過ぎ、やっとバスは釜山市西部バスターミナルに到着。一息入れる間もなく、地下鉄二号線に乗り、途中から一号線に乗り換え、一刻も早くと、次の目的地で今回の韓国旅行最後の訪問地である釜山市の東の郊外にあたる「梵魚寺(ポモサ)」へ急ぎます。
ここでまた、いろいろとトラブルに見舞われることになるのですが、その悔しくて悲しい話は次回最終回で。
(「野鳥だより・筑豊」2012年3月号 通巻409号より転載)
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