トップへ戻る
クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
total 
modify:2024-12-02

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

鳴き声録音・韓国の野鳥に初挑戦の記(第九回)

2011年6月5日午後から7日午前まで滞在した、韓国内でも有数の国立公園に囲まれた智異山(チリサン)・華厳寺と、それを取り巻く山々での貴重な時間も、韓国民の休日「顕忠日(ヒュンチュンイル)」の最中だったために、多勢のレジャー客が押し寄せたことに驚いて、野鳥たちの多くは姿を消し、セグロカッコウの二重唱やコウライウグイスのいろいろ多彩な声をゲットできた他は、期待したコノハズクは鳴かず、偶然とは言え、そんな日程を組んでしまったことを後悔しつつ、長距離の路線バスに揺られ続けて釜山の西ターミナルに到着したのは7日の午後4時前でした。

本当ならば、その夜は釜山にまず一泊して、翌日から万全の体勢で、今回の韓国旅行最後の訪問地である釜山市郊外の「金井山・梵魚寺(ぼんぎょじ・韓国読みはポモサ)」とそれを取り巻く山々に向かうべきだったのですが、カゼを引きずったままでの連日の強行軍で疲れが溜まりに溜まっていたので、とにかく日程を早く消化して帰国したいと言う気持ちが強かったこと、もう一つは、釜山に到着した時間帯がまだ夕方暗くなるには間がある午後4時前だったために、この日のうちに梵魚寺に行っても十分行動できると判断した私は、バスターミナルから歩いてすぐの地下鉄2号線の駅から電車に乗りました。結果論ではありますが、この判断がいくら後悔しても悔やみきれない大きなトラブルに繋がってしまいました。

2号線の地下鉄を釜山市中心部の「西面(ソミョン)」駅で1号線に乗り換えます。この線の終点「老園」の一つ手前の駅、その名も「梵魚寺」駅が梵魚寺と山々への起点となります。梵魚寺は釜山の中心部から北東方向に約20キロほどの郊外にあり、周りは海抜500m前後の山々が連なって取り囲んでいて、釜山市に近い割には自然に恵まれた場所にあります。昨今盛んな登山を愛する人々も多く訪れると言います。

さて、地下鉄には当然乗り場が二つあります。目的地方向へ向かうホームと反対車線です。もし、反対方向へ向かう電車に乗るとたいへんな時間のロスが生じますから、当然ながら、乗換駅ではどちらのホームに下りるかは慎重に判断しなければなりません。

幸い、釜山の地下鉄はわが国同様で駅名や路線の表示は、ハングルのほか、英語表記がしてあります。(残念ながら、まだ日本語の表記がありません、釜山は福岡から近く、現在では日本人の訪問も多い街であるにもかかわらず。)

私は十分に行き先を確認して、重たい二つの荷物を担いでホームへの長い階段を下りきりました。午後遅い時間帯だったためか、ホームには電車を待つ下校途中らしい女子高校生のグループのほか、わずかな人数の人たちが、電車が入ってくるのを待っていました。

ホームに降り立った瞬間、あれほど乗り場を念入りに確認したのに、なぜか私の頭の中に「ほんとうにこの乗り場で間違いないのかな?」との、疑ってはいけない疑念がよぎってしまったのです。その原因としては、私のその日の行動時間が順調に行っても、余裕がないかなりギリギリのスケジュール設定となっていたことが半ば強迫観念的に心にあったからです。

そこで、よせば良かったのに、傍にいる6〜7人の女子高校生に、「梵魚寺駅に行くにはこの線の電車で間違いないですか?」と聞いてしまいました。それは「ええ、間違いないです」との答えを貰って安心したかったからなのです。当然、即座にそう答えが返ってくるかと思ったら、女子高校生たちは妙な行動に出ました。みんなで顔を寄せ合ってひそひそと何やら小声で話し合っています。

ややあって、そのうちの一人が私のほうへ振り向き、「いいえ、あなたは間違っています。梵魚寺へ行くのなら反対側の電車に乗らないといけません」と言うではありませんか。

「えっ、そんな馬鹿な!間違っているはずがない」私は不安になって、隣に立っている紳士にも同じ質問をして見ます。すると、その紳士は「アイムソリー。私はソウルの人間で、釜山の地理に詳しくありません、彼女たちがそう言うのなら、やはり乗り場を変えたほうが良いのでは」と言うのです。続けて「私が荷物を一つ持ってあげましょう、反対乗り場まで一緒に行って上げます」と言ってくれます。

ここまで言われれば、もう彼女たちやソウルの男性に従うしかありません。私は心の中で、「そんな馬鹿な、そんな馬鹿な」を繰り返しながら、長い階段を重い足取りで登り、反対のホームへの通路を急ぎました。階段を下りるときに荷物を受け取り、親切に(?)してくれた男性に礼を言って、再び深いホームに向かって痛む足を杖で支えて下りました。電車はすぐにやって来て乗り込みます。

電車は地下を20分ほど走った後、やがて地上部に出ます。しかし、その瞬間窓外に見える風景を見て私は違和感を持ちました。駅に着くたびに二ヶ国語でアナウンスされる駅名も何かヘンです。ここまで来て私は電車が反対方向に走っていることを確信します。

「やられたあーっ!」私は心の中でそう叫んでいました。意図的に、とは思いたくなかったのですが、「西面」駅のホームにいた女子高校生たちから嘘を教えられたことは事実です。

「やってしまったあー、してはならないとんでもない間違いをやらかしてしまったあー。」

私は自分自身への怒りの気持ちと、嘘を教えた女子高校生たちへの悔しい気持ちでパニックに近い心境でしたが、とにかく次の駅で降り、本来の方向への電車に乗り換えました。ホームを移動したり、電車の待ち時間を加えると約1時間のタイムロスです。

ただでさえ5分でも惜しい夕方の貴重な時間を一時間も棒に振ってしまった、無念さと情けなさが入り混じって、やがてそれが焦りとなり電車の速度がじれったくなるほど遅く感じます。

やっと梵魚寺駅に到着、幸い駅の近くにすぐ宿が見つかり、支度もそこそこに、タクシーを捕まえて寺に急ぎます。今日のうちにすることは二つです。まず寺の両側からの登山道2箇所にタイマーをセットしたマイクとレコーダーを配置すること。もう一つは、6時半から始まる修行僧によって打ち鳴らされる、晩課(夜の勤行)の始まりを告げる大太鼓と梵鐘の録音です。

寺の参道を「ハアー、ハアー」と息を切らせて登り、やっとの思いで境内にたどり着いたら、時計はもう間もなく6時半です。予定を変更してレコーダーのセットは後回しにし、鼓楼と鐘楼の両方の音が録れる位置に立って、全羅道の二つの寺でも聞いた僧侶たちの大迫力の太鼓と梵鐘の音を録音しました。

大音響の太鼓が終わり、梵鐘が韻々となる頃になって気がついたのですが、山が取り巻くこの寺の周りにもいろいろな野鳥がいて、大太鼓が鳴る前には、まるでショーの開演を知らせるかのようにジュウイチが三声、四声鳴いてくれました。また、鐘の音の合間にカッコーが、まるでコラボレーションをするかのように鳴いています。

焦りまくっていた私の気持ちも、山々に響き渡る太鼓と続く梵鐘の音色に少しずつ静まっていき、いつのまにか寺の境内で頭を垂れて素晴らしい音色に聞き入っていました。

その後、ふいに我に返ったように急いで寺の両側からそれぞれの登山道に入り、時間がないので、やむを得ず少し入った程度の場所で妥協してレコーダーを設置しました。

2台目のレコーダーを仕掛けて山を下りる頃は、足元が暗くて見えない状態で、ヘッドランプを頼りに寺への道を下りて来ました。

登山道の入り口と寺とのあいだに幅が20mほどの涸れ沢があり、ここを渡る時に、すぐ近くの岩場の陰からトラツグミのペアが「ヒュー、ヒュー」「ヒィー、ヒィー」と鳴く声がすぐ間近に聞こえて来ました。もう最終バスの時刻が迫っているので早く参道を下りないといけないのに、録音をしている人間の習性で、間近に鳴いている鳥の声をみすみす逃すわけには行かない心理が働き、トラツグミにハンドマイクを向けて録音を始めてしまいました。

ここで5分ほど録音したでしょうか。この5分が取り返しのつかない時間のロスとなり、それが原因でとんでもない大失敗をまたやらかしてしまうことに繋がっていくことになります。情けないその顛末は次回で。

※おことわり:前回で、この第九回を以って最終回とさせていただく旨予告しましたが、いざこの回を書き始めると、再び悔しさがこみ上げてきて、地下鉄での出来事を詳細に書いてしまい字数を使いました。今回は直接野鳥に関係のないただの旅行記になってしまいましたことを悪しからずお許しください。

最終回は次回に持ち越しとさせていただきます。

(「野鳥だより・筑豊」2012年4月号 通巻410号より転載)

左矢印前へ  上矢印目次  次へ右矢印

ご意見・ご質問はこちらへ