田中良介
目次
鳴き声録音・韓国の野鳥に初挑戦の記(第十回・最終回)
前回(第九回)では、全羅南道の有名な智異山(チリサン)国立公園内にある名刹「華厳寺」とそれを取り巻く山々、さらに山を少し下った門前町での録音の後、直行バスで釜山市に帰って来て、その足で今回最後の訪問予定地である釜山市郊外の「梵魚寺」へ向かったところまでをお話しました。
さてその途中、地下鉄の二号線から一号線への乗換駅で止せばいいのに、なまじホームにいた女子高校生のグループに乗るべき電車の方向を尋ねたばっかりに、意図的だとは思いたくはありませんが、なぜか反対方向の乗り場を教えられ、夕方の貴重な時間を一時間もロスしてしまいました。そのために半ばパニック状態となり、その後の行動では時間に追われる場面になる都度、冷静さを失う心理状態となってしまいました。
ただでさえ時間が厳しい夕方の貴重な時間帯での韓国最後の寺院「梵魚寺」では、暗くなるまでギリギリに時間を使ってしまうことになります。例えば、もう最終バスの時間が来ているのに、トラツグミのペアが間近で鳴いたりするものですから、ついマイクを向けてしまい時間が切迫してしまうなど、正常な判断を欠く行動をしてしまったのです。ハッと我に返りあわてて痛む足を引きずるようにして、息せき切って山門を出て暗くなった下り道をバス停まで駆け下りたものの、バスはすでに出た後。いつもはバスに乗り遅れた客の為にたいていはいるというタクシーの姿もなぜかこの夜はありません。
私はへなへなと路肩のブロックに座り込んでしまいました。「さあ、どうしよう」はるか眼下に私が泊まる宿付近つまり地下鉄「梵魚寺駅」辺りの町明かりが見えます。下り道だし、体調が普通なら歩いて帰っても一時間もあれば帰り着く距離です。しかし、この日は早朝に起きて、智異山の麓のペンション近くの山に入ってタイマーをかけたレコーダー2台を回収した後、付近の村を歩き回ってから3時間半もバスに揺られてここ釜山まで戻って来ました。そして反対方向の地下鉄に乗ってしまい、長い階段を何度も、何度も重い荷物を背負って昇り降りを繰り返しました。もう体力は限界です。
「あの地下鉄の一時間がなければ、こんなことにはならなかった」自分の不注意でバスに乗り遅れたのに、女々しくも恨み言ばかりが頭の中を駆け巡ります。
でも、どうにかして街に帰らなくてはなりません。そこで思いついたのは、お寺の入り口付近にある警備員の詰め所に行って、タクシーを呼んでもらうことです。
やっとの思いで立ち上がって、詰め所へ向かう登り道の車道を歩きました。警備員の詰め所には六十年配の制服のおじさんがいて、穏やかな物腰で私の相手をしてくれました。
しかし、今回の韓国旅行でさんざん苦労したことがここでも障害となります。つまり会話が通じないのです。結局時間はかかりましたが、ボディランゲージを駆使してタクシーを呼んでもらいたいことはどうにか理解してくれ、親切にもそのおじさん警備員は電話帳を見ながら電話をかけてくれます。
何箇所かにかけてくれた結果、私に向かって気の毒そうに首を振ります。「空車が見当たらない」と言っているようです。
「さあ、困った、ほんとうにどうしよう」私ががっくりとなった時、偶然前の車道を寺の方から一台の車が下りて来ました。するとその警備員が道に飛び出して腕を広げて車を止め、私を街まで乗せてくれるよう頼んでくれました。車を運転していた女性は快く了承してくれたようです。お寺だけに、まさに地獄に仏とはこのことです。
私は警備員のおじさんと握手をして頭を何度も下げて「サンキュー、カムサハムニダ」と礼を言ってその車に乗せてもらいました。
宿に近い道の角まで送って貰い、また丁重に礼を言って車を降り、大通りを遠ざかっていく高級車を見送って、「あー、良かった、助かった」と我に帰った時、とんでもないことをしたことに気がつきます。正味12日間、訪問した韓国各地の写真がおよそ400枚写ったカメラを寺の警備員詰め所に忘れて来たことに気がついたのです。
「やってしまったあー」命の次に大事なものは、録音した音が詰まったレコーダーであることはもちろんですが、その次に大事な旅の思い出が一杯に詰まったカメラを忘れて来てしまったのです。
本当は、そこからならいくらでも拾えるタクシーに乗って急いで寺に戻り、カメラを受け取るべきでした。しかし、疲労困憊していたために自分勝手な考えが頭の中を支配してしまいました。
「カメラを忘れたのは、親切な警備員のいた詰め所だ、どうせ明日の朝一番に寺にはまた行くのだから、その時に返して貰えばいい」と。
もう時間は夜の9時になっていて、疲れと空腹でとにかく手近な食堂に上がりこみ、ビールと食べ物にありつきたかったのです。
そして、翌朝6時に宿を出てタクシーを拾って真っ先に昨夜の警備員詰め所に向かいました。「まだこの時間なら、あの言葉は通じないけど親切な警備員はまだいるだろう」そう思って詰め所の前でタクシーを降りて「アンニョンハセヨ」と言いながら建物に入ると、以外にも別の警備員がいます。交替時間が済んでしまっていたようです。
でも私は始めて見る警備員に向かって「昨夜、忘れたカメラを頂きに来ました」と言いました。
「あー、これでしょう、昨夜の警備員から引き継ぎました」と言いながら問題のカメラを引き渡してくれるものとばかり思っていたのに「そんなものは知らん、ないよ」と全く予想外の冷たい返事が返って来たので私は仰天します。
「そんなはずがありません、ここに置いて忘れたのです」と入り口の場所を指で指すのですが、例によって言葉が通じません。身振り手振りで必死に説明するのですが、その警備のおじさんはだんだん怒り出して「知らん、分からん、出て行け」と怖い顔で追い出しにかかります。
ここにいたって私は事態が深刻な状況になっていることを自覚しました。とりあえずそこを離れ、寺院の警備本部に行き、英語の分かる警備担当の僧呂に事情を説明し、後日カメラが出てきたら連絡してくれるよう確約してもらい名刺を渡しました。
その後、折角有名な梵魚寺にやっとの思いで来たのだからと思い直し、寺院の内外で一時間ばかり見学したり、シロハラの囀りを間近に録音するなどした後、大切なカメラを失くすというとんでもないミスをしてしまったこの寺を、文字通り後ろ髪引かれる思いで後にして、町に下りました。そして念のために警察の交番に行って気休めにしかならないと思いつつも遺失物届けを出しました。
そして、午後のビートルに乗って福岡港へ帰ってきました。
思えば長くて、でも過ぎてしまえばあっという間の韓国13日間の一人旅でした。クタクタに疲れ、さまざまなトラブルに見舞われた旅でした。何よりも自分自身の年令と体力、思考力の衰えを嫌でも自覚させられる旅でもありました。
一方で、親切な人にも多く出会って窮地を助けてもらいました。もちろんその反対の経験もあったのですが・・・。
一番良かったことは、この旅の目標であった韓国ならではの野鳥たちの声をいろいろと録音することが出来たことです。また、私のこだわりであった有名寺院での太鼓や梵鐘の素晴らしい音色も録音できました。収穫と言う面では初期の目標は十分に達成できた旅であったことは間違いありません。
最後に今回の「韓国の野鳥の声を探す旅」で出会った鳥(声、または目視)を列挙して、私の拙い旅日記を終わらせていただきます。
コウライウグイス | コウライキジ | カササギ | オナガ | シロハラ |
ジョウビタキ | クロツグミ | オオルリ | アカショウビン | カッコウ |
セグロカッコウ | ツツドリ | ジュウイチ | ホトトギス | ダルマエナガ |
カケス | シジュウカラ | ヒガラ | トラツグミ | ヨタカ |
コノハズク | ウグイス | ハクセキレイ | ムクドリ | キジバト |
ササゴイ | アオサギ | コサギ | アマサギ | ツバメ その他 |
※追記:
最後に、これも余談ですが、今回の韓国ではカラスをほとんど見ることはありませんでした。13日間でたった一度、それも三羽だけでした。遠くて種類の判別はできませんでした。(タイマー録音には数度だけ声が入っていました。)
韓国にカラスが少ない理由とされることに二つあって、一つは漢方で薬になる食品であるために、見つけ次第捕まえて漢方市場に売られる。もう一つの説はヤキトリにして食べつくしてしまった。以上の二説は華厳寺のペンションの主人の話ですが、真偽のほどは不明です。いずれにせよ、カラスの数が少ないのは事実です。
最後の最後の余談です。失くしたカメラは結局帰って来ませんでした。残念無念です。
長い間お読みくださった皆様には、心より感謝申しあげます。「カムサハムニダ!」
(「野鳥だより・筑豊」2012年5月号 通巻411号より転載)
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