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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2024-09-17

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

録音を通して知る野鳥の意外な声や習性

シンボルマーク[3]天空の歌い手ヒバリは野鳥界一の天才歌手

野鳥の声の録音を始めた頃、最初に録音を試みるのは、どうしても比較的に出会いが容易な鳥たち、例えば、シジュウカラやヤマガラ、ウグイス、メジロなどになるのは自然なことだと思います。初心者と言えども、日常生活の周りでいくらでも鳴いているカラスやスズメ、ヒヨドリなどにはなぜか興味が湧かず、生意気にも少し山に入って録音したくなるのです。やがて、オオルリやキビタキ、ホトトギスなどの夏鳥の美声や特徴のある面白い鳴き声をゲットしたくなって行きます。

私の場合も、野鳥は山だけではなく、野にも湿地などの水辺にもいるのに初めの数年は山歩きがもともと好きであったことも加わり、山にばかり通って録音の経験を積みました。普通の努力で録音可能な山の鳥たちを一通り録音して、やがて他のものに目が、いや耳が向くようになります。その最初の鳥はなんと言ってもヒバリでした。

山から離れて平野に足を運んでみるとヒバリの鳴き声に圧倒されました。麦秋も近い春のうららかな日和に誘われて麦畑のあぜ道を歩いてみると、そこここでヒバリたちが自慢の喉を競い合うように、あるものは地表で、多くは天空に舞い上がって華麗な囀りを聞かせてくれています。

こんなに春の野は素晴らしい鳥の声に満たされているのかと感激し、さっそく声の主たちにマイクを向けます。ところがところが、あんなにあっちでもこっちでも鳴いているヒバリの録音は意外と難しいのにいきなり気付かされます。

始めのうちは上空高いところでホバリングをしながら鳴いているヒバリにマイクを向けてみるのですが、地上から高いものでは100mも、低いものでも50mも離れているために、指向性と感度の高いガンマイクでない限り大きい音量でその声を捕らえることは困難です。

それは上空の一点に留まって、翼を震わせるように羽ばたいているように見えても、実際には高いところでは強く吹く風の影響か、一点にじっとしているわけではなく、前後左右、また高低も微妙に変化しているので正確にマイクを向け続けるのが難しいのです。

また、例えマイクが正確に上空のヒバリの位置を捉えていたとしても、広い畑を吹き渡る風によって鳴き声がまっすぐにマイクに届くわけでない上に、風の音がノイズとなったり、どうしても位置を変えるヒバリを見失わないように空を見上げて歩くためにあぜ道の凹凸に足を取られて転びそうになったりして、一筋縄では行かないことこの上もありません。

余談ですが、ヒバリが地表から舞い上がって天空で歌い、やがてまた地表に降りてくるまでの時間はどのくらいかと読者の皆さんは想像されるでしょうか。私も当初はいろいろと読んだ野鳥関連の本(本によってみな違う)から得た知識を総合して、およそ10分前後だと考えていました。

仮に10分だとしてもずいぶんと長い時間です。その間ずっとヒバリを見上げ続け、不思議な心理ですが、少しでも大きく音を録音しようと、短い腕を精一杯上に突き上げているのはとても辛いことです。足元が不安定なので、体が揺れてヒバリから目がそれることがあるのですが、一度見失うと白い、または青くて明るい空の中にゴマ粒のような大きさのヒバリをもう一度捉えることは至難の業です。

本当はヒバリの姿は見る必要はなく、声が聞こえる方向にマイクを向けるだけで十分です。また腕だって伸ばす必要など本当はないのです。なぜなら精一杯腕を伸ばしたところでマイクとヒバリの距離の上ではほとんど変化はないのですから、一番楽な胸の前ぐらいにマイクを構えていればよいのですが、これが録音する者の不思議な心理というもので、なぜか腕を精一杯伸ばしてしまうものなのですね。

ある時、広い畑の真中で上空高いところでホバリングをしながら鳴きつづけるヒバリを録音したことがあります。前にも書きましたが、滞空時間も含め、揚がって行く時間、降りてくる時間を合わせてヒバリが鳴き続けるのはせいぜい10分前後と思っていたのに、なんとこの時のヒバリ君は10分経っても15分経っても降りてこないで、空の上で鳴き続けました。ヒバリの姿を見失わないように瞳は開きっぱなし、腕は精一杯突き上げているのでだるさを通り越してもう感覚がなくなってきます。必死で録音を続けているうちに、さすがのヒバリ君も鳴き疲れたのか、やっと降りて来て土に足がつくと鳴き止みました。この間結局21分、まさにヒバリと私の根競べのような録音体験でした。腕や肩はあとになって痛くなったほどです。

こんなにも苦労したこの時の録音ですが、後で聞いてみると畑の遠いところで何台もの耕運機が動いている音が入ったり、近くの道路を走る車の音も入っていてじつにノイジーなひどい録音で、ほとんど使い物にはならない質の低いものでガッカリしたものです。しかし、21分も鳴き続けて得がたい体験をさせてくれたので、編集ソフトでギリギリまでノイズカットをして、その年制作したCDにそのヒバリの声と、これを録音した時の体験談をエピソードとして加えて収録しました。

さて、ヒバリというと谷崎潤一郎の名作「春琴抄」を思い出します。お読みになった方もあるかと思いますが、この物語の主人公の春琴は盲目の美しい女性、大阪の裕福な商家が多く集まる町で琴の師匠をしています。見えないために楽しみ少ない彼女の慰めは鳥を飼うことです。ウグイスやホオジロにも熱を入れているのですが、一番の楽しみは一羽のヒバリを飼っていて、それを毎日二階にある物干し台に使用人に運ばせ、篭の戸を明けて空に放します。ヒバリは嬉々として鳴きながらどんどん空へ上っていき、心行くまで美しく多彩な声で囀り続けます。なお、天空に上って鳴く声のことを「雲切り」というのだそうです。春琴はというと、見えない目で空を見上げて一心に聞きほれて楽しみます。やがて鳴き疲れたヒバリは下りて来て、自ら鳥篭に入るのです。

なお、ヒバリは篭の中でも上に飛ぶ習性があるので、他の鳥たちの篭と違い、その形状は断面が丸く、高さは3尺から、中には5尺の籠もあったといいます。

私自身かつて中国・上海の花鳥市場で、同じように2メートルを超える高さのヒバリの篭を間近に見たことがありますが、工芸品としても見事なものでした。

かつてテレビやラジオなどの楽しみがなかった何百年、何千年もの間、人々は野鳥を捕らえて調教して、その声や芸によってどれほど慰められたことでしょうか。同時にそのことが金儲けの手段となったり、賭博に利用された負の一面もあったのですが、いずれにせよそのような文化がわが国にも中国にも、また欧米にも存在して花開いた時代が長くあったということは否定できない事実であり、また文化であったと知ること自体はあっても良いことでしょう。

話をヒバリに戻すとして、私にはヒバリの録音で素朴な疑問がいくつか湧いてきたものです。一つには、なぜヒバリはあんなにも間断なく長く鳴き続けていられるのかと言う問題です。じつはこの答えはそんなに難しいことではなくて、つまりヒバリは吐く息、吸う息の両方で鳴くことが出来るからなのです。

二つ目の疑問は、なぜヒバリは長時間鳴き続けても声帯(鳥の場合は鳴管)や気管の粘膜が乾燥しきってしまわないのかと言うことです。ちなみに私など、ボランティアで人前で本を長く読み続けたり、人前でおしゃべりをすることがあるのですが、すぐに喉がカラカラになってしまい、声はかすれ、つい水やお茶で潤すことがあります。

一方ヒバリは体の比率からすると人間の何倍、いや何十倍もの大声で長時間鳴き続けるのになぜ往復の息の通り道が乾いてしまわないのか、とても不思議に思います。これはなにもヒバリだけのことではなく、他の鳥にも言えることかもしれません。この疑問については今後も折を見て解明したいものです。

最後に私の経験からエピソードを一つ。

上述したように、ヒバリの声をうまく録音することはとても難しいことなのですが、ある年、何の苦もなく、至近距離から良い状態の鳴き声をしかも長い分数の録音をゲット出来たことがあります。ヒバリは空の上だけでなく、地上や少し高い土の山の上でも囀ることが分かっていますが、この時は畑の脇にある低い電線に止まって、まるでツバメやホオジロがするように鳴いてくれたのです。私はというとそのヒバリからわずか数メートルの潅木の茂みに隠れて、はじめから終わりまでをしっかりと録音させてもらいました。ただし、よく聴くとヒバリの声が近すぎること、空での鳴き声と違って音の大きさが常に一定な点など、不自然な録音なのですが、ヒバリの華麗で表現豊かな囀りの声が十分に堪能でき、つくづくと「ヒバリは歌の天才」と思わざるを得ない素晴らしい録音となりました。

時は春、平野部に出かけられる機会があれば、ぜひ今を盛りと鳴きしきるヒバリの声に聞き惚れていただきたいものです。

(第三回終わり)

(「野鳥だより・筑豊」2014年4月号 通巻434号より転載 2014-03-24)

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