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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2017-09-20

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

野鳥録音の旅in台湾

シンボルマーク〔第三回〕まずは最南部、恒春半島・墾丁エリア(その二)

台湾最南部の町・恒春での最初の夜は、ここで丸4日間も私をサポートしてくれる劉川(リュウ・チュアン)さんが案内してくれて、夜の街なかの二つの学校にオオコノハズクを探しに行った話を前回書きました。

劉さんが「ベリー・イージー」と太鼓判を捺してくれたにもかかわらず、夜の9時ごろまで二つの学校を訪れて探したのに、どういうわけか1羽もオオコノハズクは姿も声も現してくれませんでした。その結果「恒春」初日の夜は疲れてヘトヘトになっていたにもかかわらず、なかなか寝付けない夜を過ごしてしまいました。

さて、翌20日、この日から実質的な台湾の野鳥録音のスケジュールがスタートします。ところで、台湾には国立公園(台湾では国家公園)が六つあります。北から台北の北、台湾最北部の「陽明山国立公園」、中央山地の北部に位置する「雪覇国立公園」、その東側に隣接する「太魯閣国立公園」、中央山地の南端には「玉山国立公園」、台湾本島から離れた中国本土に近い島にある「金門国立公園」、そして私が今回の日程の最初を過ごした恒春半島の大部分を占める「墾丁(ケンテイン)国立公園です。

この墾丁国立公園と、その足元の拠点となる町が恒春で、町外れに広がる湿地でも、あわよくばこれも私が念願としているヒクイナやレンカクなどの現在ではなかなかお目にかかれない水辺の鳥たちの録音をも狙うことにしていました。

ここで例によって脱線するのですが、この素晴らしい墾丁国立公園と拠点となる歴史ある町・恒春についてざっと触れておきたいと思います。台湾本島にある五つある国立公園は基本的には陸地にあるのですが、ここ墾丁国立公園は台湾最南部に突き出た恒春半島の多くの面積を占め、三面が海に囲まれています。

東側は茫々として広大な太平洋、西側は対岸が中国本土である台湾海峡、そして南側はフィリピン北部北ルソンとの間にあるバシー海峡となっています。そのため変化に富んだ海岸線や生態系を含めた海域をも含めた広大な、いろいろな意味での多様性に富んだ地域を一まとめにしたエリアが国立公園となっています。陸地部分の面積が約1800ヘクタール、海域面積が約1500ヘクタール、あわせて約3300ヘクタール(東京ドームおよそ3800個分の広さ)もあります。

この公園の魅力を要約すると、1.変化に富んだ地形 2.複雑な植物相 3.その結果としての多様な生態系と言うことになります。中でも我々愛鳥人間には垂涎の的となるのが野鳥の種類の多さで、この公園内で見られる(生息、通過あわせて)330種の鳥が観測されているそうです。こうした自然環境の素晴らしさから近年は観光地としても人気が高まり、北からやって来る内外(最近は中国人が多いようです)観光客は急に増え、道路の渋滞が年々ひどくなり、ここに来て高雄市から高速鉄道を延長する工事がすでに着手されているようです。

次に恒春の町ですが、最南部の重要な観光や自然保護の拠点でありながら今も「市」ではなく、屏東県恒春鎮という行政単位となっているようです。当然市長ではなく、「鎮長」という職責名の人が行政のトップです。このあたりが古い歴史を有する台湾の町らしくて旅行者は回顧的な関心を掻き立てられます。この町の大通りを、劉さんの車に乗せてもらって走ると、何度も目に入るのが「南大門」と大書した扁額が掲げられた石造り、瓦屋根の城門です。この場合の城とは中国本土でも全く同じで、わが国で言う石垣の上に立てられた多層構造の城ではなく、町の周りを塀で囲んだ、いわゆる「城郭都市」の意味です。この「南大門」こそ、台湾が日本に統治される前は中国・清朝の支配下にあったことを物語っています。

19世紀、清朝も末期に近い同治帝の時代、わが国と台湾の近代史の上でエボック・メーキングとなる「牡丹社事件」が起こります。この頃ここ恒春に総督として清朝から派遣されていた「沈葆驕iチン・ホテイ)が、それまで地元民によって「ランジャオ」と呼ばれていた町の名を、一年を通して春のようだとして「恒春」と変えたと言われています。熱帯ですから春と呼ぶには少し高めの気温ですが、年間の最高気温の平均が28.7C、最低気温の平均が22.2Cと常夏と呼ぶには低めなので沈氏が「恒春」と呼んだのは字面から考えても雰囲気があって結果的には良い町の名になり、今日に至っています。

私が訪れた時期は、丁度上述の気温の頃で昼間は少し暑く感じるものの、夜は快適で宿舎のホテルの窓を半分あけると網戸越しの風が心地よく入ってきたものです。しかし、はじめの夜こそ心地よく感じられたこの風が、その後日が経つにつれて段々と強くなり、録音の妨げになって行きます。なにしろ三面が海に面した最南端の町には「風」という録音の大敵がいて、結果的にはこの強風に良い録音の邪魔をされてずいぶん泣かされてしまいました。

もちろん墾丁国立公園の陸地部は、古い昔にサンゴ礁であった海底が隆起によって今のような複雑な起伏に富んだ地形になったわけですから、大きな岩山の影には風を遮断する場所もあり、そんなところでうまく良い声に出会うことが出来ると良い録音が録れました。しかし、風の通り道に当たる遊歩道などを歩くと、マイクにゴーゴーと風が当たる上に、まるで熱帯のジャングルを思わせる濃密な樹林では風が樹々の枝と葉を揺らして、強烈なノイズとなり、折角聞き慣れない鳴き声や珍しい音に出会えても、録音にならないケースがたびたびでした。

初日の夜、「ベリー・イージー」のはずのオオコノハズクに出会えなかったことに責任を感じたのか、風がだんだんと強くなった二日目の夜も劉さんが、「田中さん、今晩は別のところに連れて行くよ、そこではきっとオオコノハズクが待っているはずだ」と日没後に迎えに来てくれました。もしもオオコノハズクが鳴いてくれ、そこが風の陰であれば十分録音は可能なので、私も「今宵こそは」と期待に胸を弾ませて劉さんの車に乗り込みます。車は恒春の町を西へ走り抜け、やがて山の中腹に着きました。そこは「エコロジカル・ファーム」(恒春生態農場)という民間の施設だそうで、農業技術などの研修センターや実験農場になっているようで、恒春の町を見下ろす山の中腹に広い面積を有するたいへんユニークな場所、施設のようです。

我々が着いた時は、もうすっかり日が暮れて当たりは真っ暗、ヘッドランプやハンドライトで足元を照らしながら山道を奥へ進みオオコノハズクを探しますが、山の上ということもあり、強烈な風が吹き付けます。向かい風のところだと身体を前に倒さないと進めないほどです。オオコノハズクもこの天候のせいかまったく姿も見えません。私はすぐに諦めました。オオコノハズクという鳥はどこまで私に出会いの縁を作ってくれないのか、ここ数年、私にはすっかりトラウマになってしまったまことに悩ましい鳥です。

でも、この「ファーム」の敷地は私たち以外の、ほかの観察者や研究者にとっても、とても貴重な場所のようで、こんな天候の夜に二人、三人とチームを作ってウロウロとしている人たちと出会いました。国立公園で長く仕事をした劉さんはさすがに顔が広く、出会う人たちと気安く声を交わしています。聞いてみると彼らは夜に探しやすい昆虫の観察者や研究者でした。そんな中の一人の男性が、私に一本の木の根元付近をライトで照らして指で指してくれます。そこにいたのは巨大な茶色のナナフシでした。しかも保護色をしていて気の幹にへばりついている姿が、言われなければ素人の私には見つけられないユニークな虫でした。私はオオコノハズクのことを忘れて夢中で写真を撮りました。もともと野鳥の前には昆虫の写真を撮っていた私は、恒春と墾丁に多い昆虫、とりわけ多くの蝶には魅了されました。

こうして、夜のオオコノハズク探しはまたも失敗に終わったのですが、じつはこの日の朝、6時に宿舎を出て、劉さんに案内してもらってはじめて墾丁国立公園に入りました。一般にも開放している「社頂」地区に入園したのですが、午前8時半には一般の入園者、それも大抵は小、中、高校生の団体が入るのでその前に私たちは公園に入り、鳥たちが最も鳴く上に、辺りが静かな早朝の時間帯に録音させてあげようという劉さんの心遣いです。

この朝、一番に録音できた墾丁第1号の野鳥の声は「ゴシキドリ」という台湾固有種の美しい姿をした小型の鳥です。緑を基調とはしているものの、ほかに頭や顔に四つの色彩があり、合わせて五色の鳥「ゴシキドリ」というわけです。以後、この鳥は台湾のどこに行っても声を聴くことになります。「コ・コ・コ・コ・コ・・・」と、蛙に似た単調な声での鳴き声は決して魅力的ではありませんが、それでもテンポに早い、遅いがあって場合によっては面白く、またほかの鳥のバックにたいていと言ってよいほど入ってしまうので、時には良いバック・コーラス・シンガーであり、でも多くの場合はうるさく感じられる迷惑鳥でもありました。ゴシキドリのほかにはクロヒヨドリ、鳥以外ではタイワンザルの吼えるような声、リスの甲高い声などそれなりの収穫はあり、風に邪魔されたとは言え十分に楽しめました。

また、午後に恒春の町に戻ったあと、町の西側に広がる水田地帯、さらにそれに延々と続く湿地帯に、水辺の鳥の声を期待して、翌早朝に録音が始まるようにタイマーをセットしたマイクとレコーダーを3箇所に置きに行きました。もちろん劉さんに案内してもらってですが。湿地と言っても日本の私たちが通いなれたこちらのものとは、岸辺に生えている植生と密度が違うので、どこにどうセットすれば良いか、手探りでとにかく設置しやすい場所を選んで置いて帰りました。もちろん万一に備えて機材の上には雑草を切って被せてカムフラージュして、あとは珍しい鳥が翌朝マイクのそばに来て鳴いてくれることを祈るだけにして引き上げました。しかし、風の強さが気になります。

こうして早朝から、夜のオオコノハズク探しまでの長時間のスケジュールは終わり、もうクタクタです。その夜は劉さんと今も同じ国立公園で事務職として働いておられる劉さんの奥さんに夕食をご馳走になりました。何から何まで親切な協力者にただただ感謝の一日がこうして終わりました。

(第三回終わり)

(「野鳥だより・筑豊」2014年8月号 通巻438号より転載 2014-08-11)

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