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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2024-09-17

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

野鳥録音の旅in台湾

シンボルマーク〔第四回〕最南部、恒春半島・墾丁エリア(その三)

台湾最南部の町・恒春にやって来て3日目となる3月21日、例によって早朝5時半に劉さんが宿舎に迎えに来てくれました。私が車に乗り込むとすぐ出発です。

途中町の大通りに面した、簡単な軽食を作って販売している小さな店に立ち寄って、出来立てホヤホヤのお焼きのようなものと、コンビニで飲み物を買い、車中で簡単に朝食を済ませます。

中国各地でもそうでしたが、台湾の人々も朝食は自宅では食べず、通勤や通学の途中に、通りに沢山ある伝統的な食べ物を作って売る店やコンビニで軽食を買い求める人が多いようです。こうした店で作っている食べ物は、例えば野菜餡や肉の餡を小麦粉の生地で包んだお焼きの様なもの、フレンチトースト、目玉焼き、焼餅のようなもの、それにゆで卵が定番のアイテムになっていました。どれも値段は安く、なかなかに美味しいものばかりで、恒春での日々は、そうしたもので毎日朝食を済ませました。

墾丁国立公園のシンボル・大尖山

さて、今日の目的地は、前日と同じ墾丁国立公園ですが、昨日の「社頂区」エリアよりもずっと北側にある「南仁山」と呼ばれるところです。ここも入り口を入ったあと、片道が約3キロある遊歩道を歩いて、豊かな動植物の観察を楽しむことが出来ます。と言うことになっているのですが、昨晩から朝方まで雨が降り、入門後歩き始めると、道がぬかるんでいてずるずる滑るほどです。また、昨日よりさらに風が強くなった感じで、メジロチメドリ(台湾名:繍眼画眉)の高くて可愛い声や、ズアカチメドリ(同:山紅頭)の、口笛を小刻みに吹いて犬を呼ぶような、でも柔らかくて美しい鳴き声はよく聞こえてくるのですが、強い風に災いされて満足な録音が取れません。とりあえず、遊歩道の丁度中ほどの1.5キロの標識がある辺りで引き返すことになりました。入り口のビジターセンターに戻った時、劉さんが「田中さん、私は今から急いでここからそう遠くない東海岸に行って、海鳥(Sea Birds)を観察して来たいので、二時間ほどここら辺りで一人で過ごしていてください」と言います。何でも、普通は遠い沖にいてとても観察不可能な海鳥たちが、風が強い日は高い波を避けて岸に近いところに集まる場所があるのだそうです。

本当は私も同行したいのですが、自らの役割りは少しでも録音をしなければならないので、ここ南仁山に残り、根気良く風の弱いところを探して歩き、一つでも二つでも野鳥などの声を狙うつもりで「劉さん、私のことはいいから安全運転で行ってらっしゃい」と彼を見送ります。何しろ劉さんは60才を過ぎたわりには、町なかの道でも凄く車を飛ばすとても怖い思いをさせる人なので、「運転に十分気をつけて」とつい一言をかけてしまいました。

劉さんが行った後、一人になった私は、また小雨が降り続く遊歩道を奥へ向かって歩いてみました。初めに歩いた時に小鳥たちがよく鳴いた場所に行ってみようと、歩きながら時計を見ると、もう8時半を過ぎています。一般の入山者が入る時間になっていたのです。案の定、鳥たちの声がするところで手持ちのレコーダーで録音を始めていると、入り口の方向から遊歩道を大勢の人たちが歩いてくる足音と声が近づいてきました。これでまたもや録音はオジャンです。

近づいてきた一団は100人を超える中学生たちでした。私は目の前をぞろぞろと通っていく彼らに、「ニーハオ」、「ハロー」、「コンニチワ」などと笑顔で声をかけてみるのですが、なぜか皆硬い表情で挨拶を返してくれません。

「変なオジサン!」と思ったのか、それとも台湾の一般的な少年少女にありがちな対応なのか、ニコリともしてくれないので、少しでも台湾の若い子達との友好を願うオジサンとしてはガッカリです。善意に解釈すれば、ここにやって来るのは都市部の子供たちではなく、どちらかと言うと地方の少年少女が多いので、その分人慣れしていない、純粋でシャイなのだろうとも考えられます。しかも、たった一人でこんな山奥の中にいる変な外国人らしいオジサンから声をかけられて、皆驚いたり、緊張したりして余計にシャイな素振りを示したとも考えられます。

でも、自分たち同士は大声でおしゃべりしながら、折角国立公園の豊かな自然の中を歩いているのに、周りの様子を見る風でもなく、貴重な公園内の自然には全く無関心な様子でどんどんと歩いて行ってしまいました。

彼らの目的地は、多分遊歩道の終点部分に広がる草原と湖(南仁湖)なのでしょう。私も本当はそこまで行ってみたかったのですが、吹き続ける強風と、元気の良い中学生たちの賑やかさに圧倒されて、あえなく諦めることにしました。仕方なくトボトボと遊歩道を引き返します。中学生たちが通った道はさらにぬかるんで、靴はもう泥だらけです。また、鳥たちも大勢の人間が通ったことに恐れをなしたのか、遊歩道の両側からはまったく姿を消してしまったようです。

クロガシラ

再び入り口に戻り、水道の水で靴の泥を洗っていると、またもや大型バスが入って来ました。今度は高雄から研修でやって来た公務員の人たちだそうです。駐車場を取り巻く林にもタイワンオナガやクロガシラ、メジロなど結構いろいろな鳥が鳴いているのですが、大勢の人の声とバスのエンジン音、さらには強い風でどうにもなりません。

私がすっかり戦意を失くしてしまっているところに、劉さんが帰ってきました。彼もダメだったようです。「海鳥たちは確かに岸に寄ってはいたのだけど、それでも500mも先で荒波に揉まれていて、600ミリの望遠レンズでも撮影不能だった」と残念そうです。

風もやみそうもないし、早々と「南仁山」を後にして、そのあと劉さんが興味深いところに連れて行ってくれました。それは一軒の個人の住宅です。恒春の少し町外れにあるその広い庭のある家は、庭を囲んで5〜6棟のコテージ風の建物があります。つまり、もとは民宿を営んでいたという場所でした。入り口から庭の中にも、恒春の町なかのどこでもそうであるように、放し飼いの犬が何頭もいて私たち二人を遠巻きにしてウロウロしています。劉さんは平気な様子でどんどん入っていくので私も後に続きます。

ここは劉さんの奥さんが習っている絵の先生の自宅だそうで、ご主人が亡くなった後は民宿をやめて絵を教えたりしながら悠々自適の生活をされているとか、劉さんが呼びかけるとその女主人郭さんが現れました。

私をここに連れて来たのは、広い庭の隅に青い葉を一杯に茂らせたアボカドの木があり、なんでもこの木に、毎年一組のヤマムスメ(和名、台湾の国鳥)が巣をかけて繁殖するので、運が良ければそれが見られ、声が録音できるかもしれないとのことだったようです。国鳥のわりには「ヤマムスメ」とは如何にも重みのない名前です。台湾では「台湾藍鵲(タイワンランチュエ)」と呼ぶこの鳥は、嘴の先から尾の先端まで65〜70センチもあり、頭部は黒、背中から尾の根元にかけては紫がかった藍色、尾に規則正しい白斑、嘴と足が鮮やかな赤という美しい鳥で、まさに国鳥と呼ぶに相応しい姿をしているので、一度でもその姿を見たいと切望していた鳥です。その鳥にここで会える、私は胸を躍らせました。

郭さんは私たちを庭の中ほどのベンチに座るように勧めてくれます。そこに座って周りを改めて見渡すと、この家は広い庭に緑一杯の木々が多く、少し山に近いせいか吹く風も心地良くて、とても素敵な場所です。

でも、郭さんが劉さんに話したところでは、繁殖の季節にはまだもう少し早いようで、今年は姿を見せていないとのこと、私はガッカリして体の力が抜けてしまいましたが、ニコニコしながら劉さんと私に話しかけてくる郭女史の話に懸命に聞き入ります。

郭さんたちの会話はいわゆる台湾語で、中国語の標準語がベースにはなっているものの、私には三分の一も理解できません。それでも彼女の身振り手振りを頼りに理解しようと頑張ったところでは、ヤマムスメたちはもう間もなくここへ来て繁殖するに違いないこと。美しい鳥が自分の庭で子育てするのを毎年見られることはほんとうに幸せだ、そんなことを話してくれました。

ところで、この美しい鳥の名がどうして「ヤマムスメ」という、国鳥に相応しくない、どこか安っぽい名前になぜなってしまったのか、これにはいたって簡単な理由があります。日本統治時代よりずっと前から、台湾の原住民の人たちがこの鳥を「山娘(サンニャン)」と呼んでいたのを、日本人が安直に訓読みして和名としてしまったからにほかなりません。原住民が呼んだ「山娘」には、本当はもう少し深い意味が込められていたと私は思っているのですが・・・。

名前のほかにも、国鳥らしくない習性があります。この鳥はその美しい姿に似合わず悪食家で、木の実などの植物質のものから、昆虫やカエル、トカゲなどの爬虫類、その上、他の野鳥のヒナまで食べてしまうという、さすがにカラスの仲間らしい品性の悪さを持っています。また、カケスに似た悪声で鳴くところも国鳥らしい優雅さにかける点なのですが、国民投票で国鳥に選ばれたらしく、その理由は何と言ってもその姿の美しさにあるのだそうです。

生息域が広く、ほぼ台湾全土に分布しているので、私は簡単にこのヤマムスメに出会えると思っていたのに、南部にいる間にはとうとう出会うことが出来ませんでした。

また余談ですが、前述の郭さんという女性にはもう一つの顔があります。それは怪我をしたり、病気をして捨てられた犬を保護して新しい飼い主を探す活動をされている動物愛護家という顔です。

じつは、台北や高雄などの都市部ではともかく、地方都市では犬はほとんど放し飼いが普通になっています。そのために車社会となった今では交通事故に遭う犬が多く、恒春の町でも路上を歩いている数多くの犬の中に、三本足のものが何頭もいるのを目にしました。さらに重い怪我や病気の犬が家に持ち込まれて来るのを、この心優しい女性は引き受けて、今は空き家となっている民宿時代のコテージに収容し治療をしてやっているのです。道理でこの家の広い門の前から中庭まで、何頭もの、それも足を引きずって歩くような犬が多くいるわけです。

郭さんに、私の妹が同様の活動を大阪でしていると話すと、余計に親密感を感じてくれたらしく、この日の午後は野鳥の話はそこそこにして、ペットの飼い方についてのマナーや捨てられた動物の処分問題などについて、日台の実情を嘆きあったりして、貴重な時間を友好裏に費やしてしまいました。

別れ際に、「ここの美しい庭に、ヤマムスメがやって来て営巣したら知らせるからまたいらっしゃい」と郭さんが言ってくれたので、「謝々、再見」と礼を言ってはみたものの、福岡から台湾の最南端のこの町まで、そう簡単に来られるわけがないので、この優しい女性に再び逢うことももうないだろうと、つい握手に力を込めて別れ、劉さんとブーゲビリアが色鮮やかに咲く家の門を後にしたのでした。

(第四回終わり)

注:写真はいずれも筆者撮影

(「野鳥だより・筑豊」2014年9月号 通巻439号より転載 2014-10-09)

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