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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2024-12-02

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

野鳥録音の旅in台湾

シンボルマーク[第六回] 大雪山麓を拠点に・充実した日々(その1)

3月23日夜、台湾最南端の町・恒春から劉さんの車に同乗させてもらって台中市に着いたのは、もうすっかり日が暮れた頃でした。そこで今回の台湾での野鳥録音のスケジュール構成をお任せした孫さんに始めてお会いしました。

孫清松さんは「鳥人」を自他共に認められている台湾の有名な野鳥研究家であり、写真家、そして何よりも野鳥の鳴き声録音の第一人者です。

孫さんは、大雪山の麓に当たる海抜500メートルの田舎町・台中市新社区慶西里下坪に住んでおられるのですが、1999年9月21日に、今もその時の甚大な被害が語り継がれていて、日本人にも知る人が多い「921大地震」で被災されました。

建てたばかりの家が倒壊して夫人が亡くなると言うたいへんな悲劇を経験されますが、不屈の闘志でそれを乗り切り、今日、台湾野鳥界のリーダー的な存在として活躍されるに至っています。

その孫さんが、ふとした縁により私のことを知って活動に共鳴してくださり、ご多忙な中、訪台期間の大部分の私の日程をサポートしていただくことになったわけです。

まず、大雑把に孫さんのご自宅が台湾のどの辺りにあるかを知っていただきたいと思います。最初の回に紹介したと思いますが、台湾は一口に言って「山の国」です。私の乏しい知識と思い込みでご説明するので間違いがあることをお許しいただくとして、北は首都・台北市の南の郊外から、南は新幹線の終点・高雄市の東まで、国土の中央部、とくに東側は高い山々が南北に連なるいくつかの山脈で占められています。

もっとも大きい山脈が中央山脈、その他に玉山山脈、雪山山脈などがあり、繰り返しになりますが、最も高い山が玉山(日本名:新高山:3978m)、次に高い山が雪山:3886m(玉山についで高いので別名:次高山)、そして今回私がお世話になって孫さんの車で途中まで二回も連れて行ってもらった大雪山の高さは3530mと3000m以上の山がひしめいています。その数およそ200!

日本の九州ほどの面積の中にこれだけの山があるのですから、私が主観で「台湾は山の国」と表現するのもあながち誇大ではないことが分かっていただけると思います。

それだけ山が高くて深いと、人は簡単に入り込むことが出来ません。もちろん、台湾にも登山やハイキングを趣味とする人は日本よりも多いほどですが、こうした人々が歩き、登るコースは全体からするとごく一部であることと、亜熱帯、熱帯の高温多湿の気候風土の中で植物、動物など生態系は豊かで多様です。山が高いとそこに分け入る道路(観光、業務用含めて)は、少々風が吹いても必ず風の陰ができるので、酷い雨さえ降らなければ野鳥たちの声の録音は平野部、沿岸部などに比べてはるかに可能性が広がります。

そんなわけで、孫さんのお宅に滞在中、二度に亘って車で案内していただいた雪山林道ではほんの入り口の海抜7〜800mぐらいではタイワンコノハズクを、また、私が「野鳥のパラダイス」とすっかり魅了された海抜1600〜1900mではじつに多種類の、多様な野鳥に遭遇し、彼らの魅力的な声に取り囲まれるようにして夢中でレコーダーを回すことができたのです。

話が横道にそれましたが、雪山林道に行くには上り口辺りまでは、台湾では大河と言える「大甲渓」の北側に沿って走るのですが、その対岸、つまり上流に向かって右側(南側)の田舎町の町外れに孫さんのご自宅はあります。

以前の家が地震で倒壊した経験から、現在お住まいの家は鉄筋コンクリート製のモダンな外観の見るからに頑丈なお宅です。建物の前と両横に広い庭があり、パパイヤの木や桃の木があり、一日中それらの庭木にシロガシラはもちろんメジロやズアカチメドリなどの野鳥が遊びに来ます。また裏手には少し高くなった土手の上に奥行きの浅い畑がありその先は樹々が茂った小高い山になっていて、その林の縁と畑にも終日(夜も)さまざまな野鳥の鳴き声が絶えることがないという羨ましい環境にあります。この環境に惚れ込んで街から移住されて来たというのも頷づけます。

そんなお宅に実質6日間も泊めて頂いて、朝早くから(雪山林道に出かける日は午前3時!)、家のすぐ裏山で鳴く夜の鳥を録音する時は就寝前の時間まで、嫌な顔を全くされることなく、いつも優しいニコニコ顔で、こちらが恐縮しっぱなしのお世話をしてくださいました。

3月23日の夜、その孫邸に着いたのは夜も遅かったので、すぐに休ませて頂き、実質的に孫さんと鳥の声探しに出かけたのは翌24日の朝からでした。

孫さんの家から歩いて五分も行くと、人家が途切れ、そこから先は田園地帯となっています。この一帯は果物の栽培地として有名なところだということで、綺麗に区画整理された道の両側は、私たちが歩いた範囲では梨畑でした。折りしも摘果の季節だそうで、農園では人々が作業に精を出しているのですが、彼らが働く午前八時頃になると、畑のあちこちでラジオが鳴り出したり、人声がするのでもう録音はできなくなります。そのため、私たちが孫邸を出たのは早朝6時頃でした。


シロガシラ(白頭翁)

梨畑の道を歩くと、早速四方から聞こえてくるのはシロガシラ(台湾・中国名:白頭翁)の賑やかな声です。前日まで最南部の恒春半島ではクロガシラ(同:烏頭翁)の声を散々耳にしてきたので、違和感があまりしません。それほどヒヨドリ科のこの二種類の鳥たちは声も姿も良く似ています。同じ科の良く似た鳥が、狭い台湾で簡単に言えば北と南で完全に棲み分けているのも面白いことです。

しかし、よく注意してみると体の大きさも、声も、少しですがシロガシラの方が大きいような気がします。また、鳴き声の変化はクロガシラがやや単純であるのに比べて、シロガシラは多彩であるように私には思えます。

シロガシラはご存知のように、わが国では南西諸島に生息しています。(最近では沖縄本島南部にもいるそうです)また、大陸では長江流域を含めてそれより南部に広く分布していて、中国本土でも、台湾でもとてもポピュラーな身近な野鳥です。

そのため台湾では、スズメ、メジロ、シロガシラを「都市三侠」と呼ぶのだそうです。(台湾の野鳥300図鑑より引用)

「三侠」とは、三国志の劉備、張飛、関羽にちなんだ言葉で「仲良し三兄弟」と言った意味のようです。それほどシロガシラはざらにいる鳥というイメージがあるのです。

シロガシラの鳴き声ですが、最も聞かれるのは、少し柔らか味のある中程度の高さで鳴く「ピッキョ、ピクラム」の繰り返しです。そのほか、ギーギーとうるさく感じる地鳴きやキョッキョッ、キョロロと言った声も出します。概してヒヨドリ科の鳥らしく騒々しく鳴きますが、ヒヨドリほど声が高くないので、私にとっては、どちらかと言うと好きな鳴き声です。

余談ですが、以前中国の紹興市の小高い公園で、ガビチョウの籠を木の枝に吊るして鳴かせご満悦の中国のおじさんに「白頭翁(シロガシラ)も良く鳴きますが、なぜ飼わないのですか?」と愚問を呈してみたところ、「我々中国人は、あんな品のない声で鳴く鳥など絶対に飼わないよ」と大笑いされたことがあります。その頃の中国では鳥屋さんの店頭でハッカチョウなどが売られていました。ハッカチョウの声よりシロガシラの声の方がずっとましだと思って、こんな質問をしてみたのでしたが。

話を戻して、梨畑の外れは前述の大河「大甲渓」の岸になっていて、乾季の終わりであるその頃は水量が少なくて、川底の白っぽい石が広い川幅一面に広がっています。川底がゴロ石なので、少なくなった水が速く流れる音が大きくてザーザー、ゴーゴーというノイズとなり、川岸での録音はかなり厳しい状況ですが、この日の夜から、孫さんの勧めで川岸の畑にタイマー録音のレコーダーを場所を少し変えて2台セットしてみました。狙いは川岸の潅木にやって来るオオコノハズクでしたが、夜と明け方に入っていたのは、虫の声と、台湾独特のヨタカの声でした。

日本ではヨタカと言えば一種類だけ、初夏に南から渡って来て「キョキョキョ・・・」と鋭く単調な声で鳴き続けるのですが、ここ孫さん宅の近くで録音したものは「ジェッ、ジェッ」と高い声で鳴き、鳴きながら移動していくことが多いために、数も多く、どこにもいるのになかなか良い録音が録れませんでした。

同じ鳥は最南部の恒春半島の畑や湿地にもいて、すでに彼の地で私が録音して来たものと同じです。そう言えば、「この鳥の鳴く時期は、住宅地でも夜になると鋭い声で一晩中鳴くので、安眠できないと人々から嫌われている」と劉さんがヨタカについて話してくれたのを思い出しました。

孫さんに、「名前は同じ夜鷹(台湾でもこう書く)なのに、日本に渡って来るヨタカと鳴き声が違うのは何故?」と聞いたところ、「台湾のヨタカは留鳥で、日本で繁殖するものとは違う種類で、台湾での本名は林夜鷹」だと教えてくれました。図鑑で見比べても私には両者の外見上の違いが分からないほどですが、声だけはこんなに違うのも、これまた面白い話です。

昼間に歩いた梨畑や川岸、人々が働きだしてからは農園を離れ、少し山の方へ向かい、メジロや、ウグイス、それとやはり南部にも多かったゴシキドリ、ズアカチメドリ(台湾名:山紅頭)などそれほど珍しくもない鳥たちばかりに出会いました。坂道を登ったりしたので、昼に孫邸に戻った時には汗だくになっていました。

さて、その日の夜のことです。孫さんが私の寝室に用意してくれた2階の部屋で、夕食後に日記を書いていると、裏山に面した窓の網戸越しに「ホーッホーッ」と、フクロウ類にしては少し高めの、かつやや細い声が聞こえてきます。孫さんに早速聞いてみると「あの声が、田中さんが探していたオオコノハズクですよ」と教えてくれました。「えっあれが、あれが・・・」あとは言葉になりません。2年続けて対馬に行って、何日も夜の山里を探し回り、台湾南部でも劉さんと二晩続けて探しに出かけて、どうしても出会えなかったあのオオコノハズク。「その鳥が今、私のいる部屋の窓のすぐ向こうで鳴いている!」。そう思うと万感の溜まり溜まったものが一度にこみ上げてきて、それなのになんだか拍子抜けした気もして、私は思わず笑い声を上げてしまいました。少し時間を置いてオオコノハズクは窓の向こうで鳴き続けます。その声が聞こえて来るたびに私はなぜだか笑い声を立てずにはおれませんでした。

この時は窓枠にレコーダーを置いて録音したのですが、近くにいるはずなのに、思ったよりオオコノハズクの声が小さいのと、裏山までのわずかな土地の畑に流れる農業用の水路に勢いよく流れる水音のために良い録音にはならなかったので、次の夜からオオコノハズクの録音に本腰入れて挑戦することになります。

これが以外に簡単には行かず苦労することになりました。間違いなく毎夜、それも早い時間にオオコノハズクは孫邸の裏へやって来て鳴くのに、録音がどうしてもうまく行かないのです。それでも、結局何度も場所を変えてマイクを置いてみて、どうにか使えそうな音はゲットできましたが。

夜も遅くなって冷えた風が窓から入ってくる頃、孫さんが部屋に来て「田中さん、カゼ気味だから早く休んでください」と気配りの声をかけてくれます。でも、その次の言葉が「明日の朝は3時に起きてすぐ出発しますよ」(!)。これには参りましたが、いよいよ雪山林道に行くのだ、その期待感と、窓の外で鳴くヨタカやズグロミゾゴイの低い声が耳についてなかなか寝付けない夜になってしまいました。

(第六回終わり)

(「野鳥だより・筑豊」2014年11月号 通巻441号より転載)

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