田中良介
目次
野鳥録音の旅in台湾
[第八回] 大雪山麓を拠点に・充実した日々(その3)
台湾・台北市の東郊外、大雪山山麓の海抜500mにある地方の町に、今回の録音旅行で親切かつ熱心なサポートをしてくださった孫清松さんのご自宅があります。
そこに5泊6日のホームステイをさせていただき、孫さんは連日私をいろいろな場所に案内して録音を手伝って下さいました。一方、私は孫さん宅にお邪魔した翌日から風邪を引いてしまったのですが、そんな私の体調をご夫婦で気遣ってくださり、アドバイスの声を私にかけ、励ましながら、限られた日数の中で有意義な時間を過ごせるよう協力をいただきました。
その孫さんのお宅は、町の通りに面した家並みの一角にありますが、通りからは奥まったところに位置していて、裏山にもっとも近い場所に建っています。建物の左右と前は広めの庭になっていて、向かって左には時折自動ミシンの音が聞こえる縫製工場らしい建物があり、反対側はビンロウ(檳榔)の樹が整然と植えられた広い畑があります。
旅の初日に台北市郊外の国際空港から近い桃園駅から高雄まで乗った台湾新幹線の車窓の向こうに見えた、あの椰子と勘違いした畑の光景がここにもありました。
ここで少し脱線しますが、台湾や東南アジア諸国、さらには南太平洋にある多くの島々の人々に愛好者が多い不思議な嗜好品「ビンロウ」について、私の経験談を含めてこの機会に紹介したいと思います。
ビンロウの樹はヤシ科で、樹の高さは10〜25mになり、その実がビンロウです。これを加工して嗜好品として販売する小さな店が台湾にはたくさんあります。南へ行くほど、店は多くなり、私が旅のはじめの数日を過ごした最南部の町・恒春辺りでは国道に面した通りの5軒に1軒はビンロウを売る店に見えたほど、看板に「檳榔」の文字が目立ちました。この街でお世話になった中華民国野鳥学会の劉さんは「長距離トラックの運転手が多く利用している」と話してくれました。つまり、運転中の眠気防止に効果があるということでしょう。しかし、他方では、このビンロウという嗜好品の愛用者に口腔ガンが多く発生することも知られるようになっているとのこと。
読者の中には、テレビの旅行番組などで、東南アジアや南太平洋の人たちが唇や歯を真っ赤に染めているのをご覧になったことがあるのではないでしょうか。私も今回の旅の二日目、高雄のバスセンター近くで、怪しいタクシーの客引きおじさんの口の中が真っ赤になっているのをはじめて間近に見てギョッとしたものです。
想像するに、ビンロウはかつて台湾の原住民の嗜好品だったのだろうと思いますが、近年はいわゆる外省人(大陸から移り住んだおもに漢民族)にも、この習慣が広がったのではないでしょうか。
孫さんがお住まいの地方の町の外れにもこうした檳榔畑が点在していました。まだまだ台湾にこの嗜好品を愛用する人たちが多いことを示しています。
或る日、孫さんがそうした畑の前で「こうしたものを栽培する人たちの仕事は社会にとって決して良いことではありません」とポツリと口にされたことが今印象深く思い出されます。
そのようなビンロウの一面を知ったにも拘わらず、旅先では「郷に入れば郷に従う」を実践したくなる私は、台中市を後にする前日の午後、台湾の国鳥であるヤマムスメを探しに行った「八仙山植物公園」の帰り道、孫さんに頼んで街道筋にある一軒の小さなビンロウ販売店に立ち寄ってもらいました。
店に入ると、奥で机のような台に向かって女性が座り、何やら作業をしています。近寄って見せてもらうと、大きさが2〜3センチほどの檳榔の実に切込みを入れ、そこにキンマという植物の葉で石灰を少量包んだものを挟み込んでいるのでした。こうして出来上がったのがビンロウです。さらにそれを5〜6個ずつタバコの箱に似た容器に入れて商品となります。はっきりとは思い出せないのですが、1箱300円ぐらいだったようです。私は1箱買うつもりでいたのですが、その女性が「一つ上げるから試してみたら。」と言ってくれるので、厚かましく好意に甘えて恐る恐る口に入れてみました。
やや青臭い匂いと味がして全然美味しいものではありません。モグモグと噛んで10秒もしないうちに口の中がいっぱいになるほど唾液が湧き出してきました。
孫さんから、胃に悪いので唾液は飲み込まないように、と言われていたのですが、あまりにも突然唾液が口の中に溢れてきたので慌てて飲み込んでしまいました。すると30秒もしない間に顔がカーッと熱くなり、その熱い感覚が頭に上っていくと同時に、丁度酒に酔った時のような不思議な酩酊感がやってきます。唾液はなおも湧き出してくるので、店の前に出て側溝に唾を吐き出しに行こうと歩き出したところ、足がよろけてしまうほど急激な酩酊感で目が回りそうな感覚に襲われます。
その私の様子を見て、孫さんや店の人たちが大笑いします。私はたまらず唾だけではなく、ビンロウも吐き出してしまいました。でも顔から頭にかけてのほてりと酩酊感はしばらく収まりませんでした。
この経験で最初に思ったことは、こんなに作用が強いのに、なぜ長距離トラックのドライバーにビンロウの愛用者が多いのかという点でした。おそらくはじめのうちはこの強い作用に襲われるものの、やがてはそれが快感となり、常用していくことになるのだろうと思います。覚せい剤とある意味で共通点があるのでしょう。
依存性があるために、長期間口にするうちに内臓を悪くしたり、最悪はガンが発生するなど、ビンロウを嗜好する習慣は、台湾社会に今も残る悪しき慣習だと思いました。近代化の道を進めてきて、今や先進国の仲間入りをするほどの国になった台湾では、早晩見られなくなる食文化(?)の一つではないでしょうか。
以上、不思議な嗜好品「ビンロウ」について長い道草をしてしまいました。話を孫邸附近の自然に戻しましょう。
孫さんのお宅の裏には低い山の林があり、林の縁と建物の間に横長の畑があります。さらに、畑の手前には、潅がい用に水路が走っていて、ここをいつも水が勢いよく流れています。(この水音が鳥たちの録音の邪魔になって困りました。)
また、建物の前と左右の庭には梅やパパイヤの樹が数本植えられていました。周辺には高い密度で人家もあるのですが、孫邸裏の畑や庭の樹にはシロガシラ、メジロ、ズアカチメドリ、コジュケイなどがやって来てよく鳴き声を聞くことができ、また録音もゲットできました。また、鳴き声を聞くことはなかったのですが、外来鳥であるジャワハッカの小さな群れが電線に止まっていることもありました。余談ですが、もともと台湾には大陸から移入されたハッカチョウが数多くいたのですが、飼い鳥であったジャワハッカやインドハッカに追われてハッカチョウは姿を消し、今では外来種の数が増えているようです。
さて、裏の畑の向こうにある林の縁にはオオコノハズクが毎夜やって来ます。単調な声ながらよく鳴いて私を感激させてくれました。また、この畑でもっとも聞こえたのは夜に鳴くズグロミゾゴイの声でした。この鳥はご存知のようにサギ類の仲間です。でも面白いことに、彼らは水には入らずに、昼間は畑や草地の地面を歩いています。蛙や昆虫、ミミズやトカゲなどを見つけて食べているようでした。
また、人をほとんど怖がることがないので、例えば、台北市内のほとんどの公園でズグロミゾゴイを見た時、2〜3mまで近づくことができたので、ノソノソと歩く、少しずんぐりしたユーモラスな姿を容易に写真に撮ることができます。
しかし、夜になると夜行性の肉食哺乳類を避けるためなのか、樹の枝に飛翔して上がって過ごします。そして独特の低い、でもとても興味深い鳴き声でよく鳴き続けました。繁殖期のオスだったのでしょうか、そこは不明です。
オオコノハズクが宵の内の2時間ほど鳴くのに対して、ズグロミゾゴイの方は、夜遅い時間と明け方にも鳴いてくれました。それにヨタカ(林夜鷹)もほぼ一晩中間歇的に鋭い声で鳴くために、昼間の疲れで眠りたくても、窓のすぐ向こうで彼らが一晩中鳴くので安眠が妨げられ、風邪の具合を良くするために睡眠が必要な身にはじつにありがた迷惑なことでした。お陰で風邪はひどくなるばかりでしたが、しっかりと録音はできたのでした。それにも孫さんの助けがありました。夕食後や未明の辺りが真っ暗な中、物干し竿の先にマイクとレコーダーを取り付けて、斜面がすべる土手の上の畑に運んで貰い、ここぞという場所に置いていただきました。その都度どれほど感謝したことか、本当にありがたいことでした。
マルハシ(大彎嘴)チメドリ科マルハシ属。大きく、ハッキリした2音節の声で長く鳴き続ける。雌雄の体色は同じ。地上性で、林の中で落ち葉の下から餌を探す。
話が前後しますが、3月27日未明に二度目の大雪山林道に出かけました。そして、今回台湾への録音旅行を決意した要因の一つになった「マルハシ」の独特の面白い鳴き声をついにゲットできました。マルハシはチメドリ科マルハシ属の中で最も大きく、体長は25センチ、特徴は長く下に彎曲した大きなクチバシです。そのために台湾でも「大彎嘴」と呼ばれ、和名「マルハシ」のもとになっています。
さて、そのマルハシの興味深い鳴き声ですが、大きく、太く、明瞭な声で「フェイ・ピョウ、フェイ・ピョウ・・・・」と鳴き続けます。この鳴き声ははじめて大雪山林道に行った日には、遠くで鳴いていた程度で、録音を録ることができなくて残念に思っていたのですが、二度目の27日には幸運なことに、すぐ間近の深い谷に落ち込む林の縁でハッキリと長く録音することができたので、感動してしまいました。
今から思い出すとかなり危険な録音でした。私は道路端から突き出た岩の上から目も眩むような谷底に向かってマイクを突き出し、すぐ下の斜面に沿った林の中で鳴く声を録音していました。相手のマルハシは姿を見せないまま、声だけが少しずつ横に移動して行きます。私も山肌にへばりつくような姿勢のまま少しずつ足をずらしたり、腕の向きを変えながらマイクで後を追いました。滑り落ちたら救出不可能な場所だったので、執念で頑張ったとしか言いようがありません。この時の録音のバックにはさらに嬉しいことに、好きな台湾の野鳥であるヒメフクロウも谷の向こうで鳴いていました。
でもこうして大きな目標の一つであったマルハシの声を良い状態で得られたのも、その場所に私を案内してくれた孫さんのお陰です。今もその録音を聞くと、その時の感動と孫さんの顔が昨日のことのように思い出されます。
今号の終わりに、今回の孫さん宅にホームステイさせていただき、手厚いサポートによって得られた録音の中で鳴いていた鳥名を挙げておきます。
まず、孫邸の庭と裏の畑や林、それに周辺の果樹園などでの録音では、シロガシラ、ゴシキドリ、メジロ、ウグイス、カノコバト(別名、真珠鳩)、コジュケイ、ズアカチメドリ、ヨタカ(林夜鷹)、オウチュウ、キバラシジュウカラ、ツバメ、スズメ。
大雪山林道、頭科山などでは、タイワンコノハズク、ヒメフクロウ、タイワンシジュウカラ、ヤマゲラ、コシジロムシクイ、タカサゴミソサザイ、タカサゴオオセッカ、チメドリ、ヤブドリ、タケドリ、カンムリチメドリ、ミミジロチメドリ、メジロチメドリ、マルハシ、ヒメマルハシ、ルリチョウ、コンビタキ、チャバラオオルリ、シラオビタキ、ミヤマテッケイ、クロヒヨドリ、タイワンガビチョウ、ヒメオウチュウ、キジバト、カンムリワシ(二声)、ほか不明数種。
そのほか特筆すべき声として、鹿(キョン)、赤腹リス。
以上、順不同で思いつくままに鳥名を挙げてみました。あまりにも成果が多くて、手帳にメモするのを落としてしまったものや記憶から消えた種もありそうです。
(第八回終わり)
(「野鳥だより・筑豊」2015年1月号 通巻443号より転載)
ご意見・ご質問はこちらへ