田中良介
目次
野鳥録音の旅in台湾
[第九回] 大雪山麓を拠点に・充実した日々(その4)
前回・第八回で、台中市東の郊外にある孫清松さんのご自宅附近と周辺の果樹園、その周りの林での録音、さらには今回の録音旅行のメイン舞台となった大雪山林道での成果について、具体的な鳥名をあげて報告しました。
さらにこの後、旅行の最終地である台北市で過ごした正味4日間でも、市内の公園の幾つかで興味深い録音ができた結果、約50種という予想を超えた数多くの鳥たちの声をゲットできたことは、私にとって大きな喜びとなりました。
しかし、後日これらの膨大な音声ファイルを確認して、鳴いている鳥を特定する作業には大いに手こずることになりました。もちろん、その原因は大部分の鳥が私にとって始めて耳にするものが多かったということが第一にありますが、さらに私の頭を混乱させたのは、図鑑に記載されている日本と台湾の鳴き声表記の大きな違いでした。
毎度申し上げていることですが、鳥の鳴き声を書き表す、あるいは書き写す、つまり鳴き声を通常はカタカナで表記することがいかに難しいものであるか、愛鳥家の皆さんは先刻ご存知と思います。
このことを話題にする時に、よく引き合いに出されるのが川村多実二氏著「鳥の歌の科学」の冒頭に出てくるスズメの鳴き声の表記です。スズメの鳴き声を川村氏は「チーラム チョチ チョン ツィーン チョチ チーラム チョン チョチ ツィーン(以下略)」と書き表して(書き写して)います。スズメの声に対しての日本人の共通認識である「チュン チュン」も、仔細にあるいは正確に聞けばこうなるということをこの本で読んだ時、すでに鳥の声に興味を持ち、録音を始めていた私は「わが意を得たり」と膝を叩いたものです。この話で私が言いたいことは、日本人の間でも鳥がどう鳴いているかを、文字で、または言葉で表すことがいかに難しいかと言うことです。まして、日本と台湾の異なった言語や文化、習慣を跨ぐとこの問題はいっそうややこしくなります。
もちろん私が鳴き声の特定・確認に使った資料の一番は、孫さんが制作してリリースされた二枚のCD(「Songbirds 鳥」と「Birds U」)です。これら二枚のCDは大いに参考となり、これにより約1/3の鳥名は特定できましたが、微妙な違いがあったり、CDの中に収録されていないなどのために残り2/3は分からないままでした。そこで次に参考にしたのが日本語で印刷されている「台湾の野鳥300図鑑」です。
この本ではおよそ半分の鳥について鳴き声が表記されています。この点は大多数の皆さんもお持ちの「フィールドガイド日本の野鳥」と同じです。
しかし、この「台湾の野鳥300図鑑」の鳴き声表記はまったく参考にならなかったどころか、いっそう混乱させられてしまいました。そうした例を幾つかあげてみましょう。
@ウグイス・・・わが国ではもっとも書き表しが簡単な鳥です。誰が聞いても「ホーホケキョ」と聞こえることで一致すると思います。ところが「台湾野鳥図鑑」ではウグイスのさえずりを「ググリュ」と表記しています。どう聞けばウグイスのホーホケキョがググリュになるのでしょうか? でも台湾の人が聞けばこうなるのでしょう。
Aズアカチメドリ・・・体は明るい褐色、頭のテッペンがほんのりと朱色になっているのでこの名が付いた小さく可愛い鳥でどこにでもいて、よく鳴いています。
その声は私には「ヒュヒュヒュヒュ・・・」と口笛を高く短く、連続的に吹くような声に聞こえます。鳴き方は単調ながら優しい声です。
ところが、この図鑑では、口笛のような(この部分は同じ)声で「ジュジュジュジュ・・・」と鳴く、とあります。ヒュヒュヒュとジュジュジュでは全く違う声だと思います。
口笛が「ジユジュジュ」と聞こえるでしょうか? そこが分からないところです。
Bチメドリ・・・中国本土と台湾にはチメドリ科の野鳥が数多くいます。その中でチメドリは○○チメドリではなく、ずばりチメドリの和名がついている鳥です。名前だけ聞けば、チメドリ科を代表する美しい鳥と思いそうですが、じつはスズメほどの大きさで、体色は地味で目立たない姿をしています。しかし鳴き声は美しくて愛らしい感じがする野鳥です。では、この鳥は台湾の野鳥図鑑では何と鳴いているかですが、なんと表記されています。日本人の私たちには口にし、声にするのも難しい鳴き方です。 孫さんのCDを聞いても、私の録音を聞きなおしても、高く早い声で「ヒュー ピュルル ピューフエイ」と私には聞こえます。それが「スウシェイダポオチチュ」ですから、こちらの頭が混乱してしまいます。
まあこんな具合なので、「台湾野鳥300図鑑」には早々とお手上げしてしまいました。
結局、台湾で録音した全ての鳴き声を短く整理してCDに入れ、その内容を一覧表にして孫さんに送りました。時間のかかる面倒な作業なのに孫さんはその表に鳥種、鳥名を入れ、さらにバックで鳴いている鳥たちについても書き込んで送り返してくださいました。こうして全部の鳥の種類が特定できたのはもう夏の終わりになっていました。
さて、台中市郊外孫清松さんのお宅にホームステイさせていただき、私の体調が悪いながらも孫さんの献身的なサポートにより充実した日々もあっという間に過ぎて、いよいよこの地での最終日3月28日となりました。この時点で十分に成果は上がっていたのですが、それでも慾を言うならあと三種類の鳴き声が録れていませんでした。それらはタイワンガビチョウ、ヒメマルハシ、ヤマムスメです。このうち前の2種類は鳴き声が面白い、または素晴らしいので録音したい鳥として訪台前から予定に入れていたものです。孫さんからも容易に録音できる鳥たちである旨、前以ってメールを貰っていました。
他方ヤマムスメは以前最南部での日々を書いた時にも触れましたが、台湾の国鳥として、姿や色がとても美しい、大きくて見栄えのする鳥です。ただし、この鳥は鳴き声が悪いことが共通するカケス属の鳥なので、孫さんのCDを聞いても鳴き声は決して良くない鳥です。それでもヤマムスメの声が録音したかったのは、この鳥が何と言っても台湾の国鳥であること、体が大きく美しいこと、その一方で、今では数が少なく簡単には録音できない鳥であること、そんなことを知るにつけて、何としてもその姿を見たい、声を聞いて録音したいというわがままな望みが私の心の中に湧いていたのでした。
最終日の前日となる27日の午前、大雪山林道の1,600〜1,700メートル辺りで、マルハシをはじめいろいろとすばらしい録音が多く録れた帰り道、「田中さん、ヤマムスメに会いたいですか?」と孫さんが言います。早朝から孫邸の裏での録音に始まり、午前中を興奮しっぱなしでいたため、私はかなり疲れていたのですが、もちろん二つ返事でヤマムスメとの遭遇を熱望していることを孫さんに訴えました。
結局この日の午後、今まで行ったことのなかった「八仙山植物公園」へ孫さんは案内してくれました。孫さん宅から車で30分ほど走ったところにその公園はありました。
谷川に沿った広い傾斜地に林や花壇が広がっています。体力に余裕があり、かつ時間もたっぷりある状況なら、植物も好きな私は十分に楽しめた場所だったと思いますが、この時はそんな気持ちの余裕がなく、クロヒヨドリが群れで鳴く声を録音した以外は、ひたすらヤマムスメの姿を探しました。孫さんはより広く探索するために私とは離れて別の場所を探してくれました。
二人で二時間ほどの間、傾斜した山道を登り下りして探し歩いたのですが、とうとうヤマムスメに出会うことは出来ませんでした。最南部、恒春でも劉さんのサポートでヤマムスメに会いに出かけた時も空振りでしたが、ここでも結局ダメだったのです。声はともかく、美しい姿にひと目でも合いたかったのに残念でした。
孫さんが「ヤマムスメは今ちょうど繁殖期で、人に出会うことのない場所に移動して繁殖行動に入っているのでしょう」と、私に向かって慰めるように話してくれました。
さて、最終日の朝、「ヒメマルハシの声を探しに行きましょう」と孫さんが誘ってくれます。私の体調は一度良くなりかけた風邪がぶり返し、連日の疲労も相まって最悪でしたが、あと数時間ここ台中市・大雪山麓での最後の時間を頑張ろうと、残りの体力を振り絞るような気持ちで孫さんの車に乗り込みました。
行く先は孫邸から20分ほどの「頭科山」という低い山の麓に広がる林の道です。海抜でいうと600メートルほどになるのでしょうが、この林でも沢山の鳥たちが鳴いていました。まず、迎えてくれたのは、すでに何回となく録音したシロガシラ、クロヒヨドリ、ズアカチメドリ、ゴシキドリ、アオバト、コジュケイなどです。どうしてこんなに野鳥がいるの?と不思議に思えるほど沢山の鳥たちが鳴いていました。
タイワンガビチョウ(別名:ホイビイ 台湾画眉)
ムクドリほどの大きさ、高くよく通る声で華麗にさえずる。ほかの鳥の鳴き真似をすることもある。雌雄の体色は同じ。ガビチョウにある目を取り巻く白線がない。
そんな鳥たちの声をバックに、待望のタイワンガビチョウ(別の和名ホイビイ)のひときわ大きくて、高く、張りのある声でのさえずりが聞こえ始めました。丁度都合よく手前に木立があり、それがこちらの姿を隠してくれるので、向こうは臆することなく、まさに朗々と素晴らしいさえずりを聞かせてくれたので、とても良い状態での録音に成功しました。
その後ヒメマルハシのやはり大きな声での面白い鳴き声も録音でき、私はこの時点で十分に満足した途端、気が緩んだのか疲れがどっと押し寄せて来て、孫さんの車の助手席に倒れ込むように座り込んでしまいました。
やがてこの林をあとにして出口に近づいた頃、台湾の低い山地ではそんなに珍しくない、でも録音する機会に恵まれなかったカンムリワシの声が車の窓の向こうに聞こえてきました。体調が良ければまたとないそのチャンスを逃す気は起こらなかったと思うのですが、さすがにこの時は「もういいです、帰りましょう」と言ってしまいました。
再び台湾のこの地を訪れ、カンムリワシの声を録音する機会などありえないと思いつつ、この時はもう気力が尽きていたのでしょう。今振り返ってみると、なぜあの時、最後の力をもう一度振り絞って、カンムリワシの声を録音しなかったのだろうと悔やまれてなりません。それほどカンムリワシの声は魅力的で、また鳥の姿も立派でしたから、なおさら後悔の念しきりと言ったところです。
何はともあれ、最後の朝の数時間は、宿題を果たせたような感じで、体力的にはギリギリでしたが良い時間を過ごすことができました。孫邸の二階の部屋でしばらく休憩の後、荷物を整理し、孫さんご夫婦に心からのお礼を言ってから孫さんに台中駅に送ってもらいました。
台中市から新幹線に乗って台北に着いたのは28日の昼過ぎです。
体はもうよれよれ、限界に近い状態でしたが、とりあえずこの日の宿を見つけなければなりません。台北二日目以降は、私の福岡市内にいる友人の友人である台北市内の会社社長に宿泊するホテルを確保して貰うことになっているのですが、この日だけは自分で探すことにしていたのです。
体調が悪いので、とりあえずこの日は台北駅近くの安宿に止まる予定で、駅構内の旅行案内所に行って相談することにしました。ところが思わぬことで宿泊場所の確保に苦労することになってしまいました。こんなことになるなど夢にも思わなかったので本当に参ってしまいました。
当時、日本国内でも大きく報道されたのでご存知の方も多いと思いますが、馬英九総統の対中政策に反対する学生運動が丁度盛り上がっていて、台北市中心には台湾全国から学生が集まっていたのです。そのために駅周辺の宿泊施設は彼らでほとんど埋まってしまっている状態でした。一流のホテルは別として、ビジネスホテルや低価格帯のホテルは全て満室。疲れた体で大きな荷物を背負い、また引きずって何軒か旅行案内所、旅行会社を回っても空き部屋が見つかりません、最後に立ち寄ったところで、やっとユースホステルなら一人だけ確保できると言われ、藁にもすがる思いでそれをOKしてしまいました。おかげで、七十代後半の旅行者にとっては甚だつらい宿泊経験になってしまいました。一人がやっと寝ることができる程度の狭いスペースに横たわり、眠ろうとしたのですが、深夜まで若い人たちが出入りするので結局熟睡できなかったあの一夜は、今思い出しても惨めな経験でした。
でも、そこに宿泊していた60代半ばのカナダ人男性と言葉を交わしたことはよい刺激になりました。彼は退職後もう五年ほど世界中を旅し続けているということで、すでに50ヶ国を回ったとのこと。白髪が肩まで垂れ、顔中髭だらけの老バックパッカーから思いがけず勇気を貰った一夜でもありました。
次回は最終回として、今回の台湾録音の旅最後の数日を、一人で過ごした台北市内とその郊外での経験について書きたいと思います。
(第九回終わり)
(「野鳥だより・筑豊」2015年2月号 通巻444号より転載)
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