田中良介
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隠れたさえずりの名手・セグロセキレイ
セグロセキレイ
福岡市・城南区の住宅地を流れる川、その中流域の岸辺に咲く梅が見ごろを迎える頃、水が流れる音をバックにどこからか鳥のさえずりが聞こえてくるようになります。少し濁った声での複雑なさえずりです。川沿いの道を散歩の途中にこの声が聞こえて来ると、たとえまだ風が冷たくても、私は春がもうすぐそこに来ていることを実感して嬉しくなってしまいます。この季節に、このような川の中でさえずる鳥はほかにありませんから、その声の主がセグロセキレイであるとすぐに分かります。
少し野鳥のことを知っている人なら、私たちが出会えるチャンスの多いセキレイの種類が3種類あり、川の河口部から中流域まで広い範囲にいるのがハクセキレイ、中流域にいるのがセグロセキレイ、そして上流部にいるのがキセキレイだということをきっとご存知でしょう。
このうちハクセキレイは、川の中だけでなく、畑のなかや、スーパーの駐車場や屋上で姿を見かけることもあります。私はある時、街なかの大型ドラッグストアの入り口付近の手の届きそうな鉄骨の上で、たった1羽でねぐらをとっているハクセキレイを見かけたことがあります。すぐ横を人々が通りかかるのに平気で眼を閉じていました。怪我をしているとか、病気とかではなく、安心してそこをねぐらにしているようでしたから「すごい心臓の強いセキレイ君がいるものだ。」と感心して、証拠の写真を撮ったぐらいでした。
それはともかく、セキレイの仲間は昔から日本人の生活に近いところで暮らしてきたようです。古くは日本書紀の国産み伝説にも登場して、イザナギ、イザナミのミコトに男女の契りを指南したとか、同様の伝説は台湾の原住民の説話にも残っているといわれます。
そんなところから、日本ではセキレイのことを「オシエドリ」とか、「トツギオシエドリ」とも呼ばれています。そのほかにもセキレイには面白い方言がたくさんあって、代表的なものはイシタタキ、イワタタキ、ニワタタキといったタタキがついた名です。タタキとはセキレイがいつも長い尾をせわしく上下させる動作からきたものなのでしょう。前述の日本書紀にある伝説もこの動作が元になっていることは知る人が多くいるはずです。
そのほか、カワラスズメ、ツツというのもありますが、ツツはセキレイ類に共通した鳴き声である「チュチン、チュチン」から来たものでしょう。この「チュチン」は、多くの場合、セキレイが飛翔しながら出す声です。
さて、セキレイ類の声を録音する時には、困った共通の問題があります。それは彼らが水辺で鳴いていることが多いことです。
前回は同じく水辺、というより水の中で暮らす野鳥、カワガラスの録音苦労話について書きましたが、同様にセキレイ類もどうしても水音のノイズと戦うことになります。
そのうち、キセキレイについては、流れが速い川の上流部に住んでいることから、水音の問題ははじめから諦めるしかありません。どんなに工夫をしても避けることは難しいからです。
私が過去に経験したキセキレイの録音の中で、思い出深いケースが一つあります。録音した場所は海抜300m付近の深さが10m以上もある谷川にかかる橋の上でした。しかし、この時はラッキーなことに、橋と平行して張られた眼の上5mほどにある電線に止まって鳴いてくれました。水面からの高さが15mも上で鳴いたことになりますから、マイクを橋の欄干から下にではなく、上に向けて録音できたのです。そのため水音はかなり軽減できました。ほかのセキレイに比べてキセキレイのさえずりと思われる鳴き声は、はるかに単調ですが、爽やかな新緑の中で、清冽な谷の水音(それでも結構邪魔ではありましたが)をバックに、生命の賛歌を歌うキセキレイの姿を見ながらの録音は、こうしたことを趣味とするものにとっては冥利につきる数分間でした。
一方、ハクセキレイには別の困難があります。この鳥はさえずっている時に、じっと同じところで鳴かない傾向があります。せわしく移動しながら鳴くことが多いので、なかなか長い録音が録れません。たとえ川幅が狭くても、対岸に飛んで行ってしまわれると、マイクに入る音が小さくなってしまいます。そうした中でもかなりうまく行ったのは、郊外の農耕地の中を流れる小さな川の堰の少し下流で、川岸に放置録音を仕掛けて成功した例です。
水音は入りましたが、たいして苦になるほどではなく、ハクセキレイは何度も移動しては鳴いていますが、マイクの近くで鳴いた部分だけを繋ぎ合わせると一つの音が出来上がりました。
そしていよいよ今回のテーマであるセグロセキレイです。
毎日のように川辺の道を散歩していて気をつけてみたら、彼が必ず私の自宅付近の橋の下で鳴くことが分かりました。水が流れる川岸に下りる階段があるので降りてみると、そこは川が浅くて、川底は平坦ですが、セグロセキレイが止まってさえずることができる20cmほどの石が点々とあります。流れも緩やかで水音は気になるほどではありません。さらに良いことは、橋の上を車が通っても橋の下ではほとんど騒音として聞こえないのです。
そこで橋の真下に位置する部分の岸辺に、タイマーを仕掛けたレコーダーを置いたところ、計算どおりにセグロセキレイが来て、素晴らしいさえずりを間近に、そしてたっぷりとマイクに向かって歌ってくれていました。
その声を私なりの感覚で文字表記してみると「ジッジッ、チュィーチョ、ジチ、チュィーチョ、チュイチュイ、ジジ、チュチュ、チュィーチョ、ジジ、チュィーチョ・・・・」以下、延々と鳴き続けていました。
ハクセキレイに比べると、声はやや濁っていますが、さえずる声は変化に富んでいて、どこかジョウビタキのさえずりに似たところもあります。しかし、声にはジョウビタキより力があって、少し離れたところにも聞こえるだけのボリューム感があります。
そしてさらには、私たちの立場から言えば、セグロセキレイの良いところは、以上のほかに、あまり移動しないでひとところで長く鳴き続けることが多い、という点にあります。
ということは、一定の長さの録音ファイルが作りやすいということになります。つまり、出来上がった音声の観賞価値が高くなるわけです。鳴き声の図鑑ではなく、音の風景としての録音を考えるとき、このポイントはとても重要です。
ところで、この自宅付近の川は洪水対策のために、ここ2〜3年は川の中流域で川底を掘り下げて、そのうえに両岸をコンクリートの石で固める工事がなされています。
以前は川底のそこここにあった浅い瀬や、少し深い淀みもあり変化が多かった川底はすっかり平坦になってしまい、ところどころに人工石が並んだ瀬がつくられたものの、全体としては、単調で起伏のない川底がずっと続く風情のない川になってしまいました。
アユが住み着く大き目の岩もなくなってしまい、都市部を流れる川に、毎年、博多湾から登って来ていたアユもどうなるのか心配していたのですが、去年の10月初旬には支流に上っていたアユがたくさんの群れで下って来るのを見ることができました。
そしてこの春先からは、セグロセキレイがひさしぶりに人工岩を敷き詰めた川底を移動しながら、例の素晴らしいさえずりを歌っていました。
遠くから聞こえてきた時は一瞬我が耳を疑ったのですが、近づくにつれて、それがセグロセキレイのさえずりであることを確信できたので、嬉しくて胸がいっぱいになりました。
これが鳴き声を聞くという立場で野鳥と接している者の特別な想いなのです。同時に自然が持つ回復力を改めて感じることができる日となりました。
セキレイ類はどなたもが簡単に観られる身近な野鳥ですが、じつはセグロセキレイが意外にも素晴らしい歌い手であることをご存じない方が多いのではないでしょうか。
彼らの歌声に耳を傾けつつ、生き生きとしたその姿を観察されることをぜひお勧めしたいと、今回はセキレイ類、中でもセグロセキレイの素晴らしさをご紹介しました。
(「野鳥だより・筑豊」2016年4月号 通巻458号より転載)
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