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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2018-12-16

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

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目次

シンボルマークサシバはどこへ行った、ある里山の荒廃

福岡市の西北部、博多湾の出口西側に小さな里山があります。毎年5月初旬にサシバが渡って来て、小さな畑のすぐ脇にある背の高い木々が茂った林の縁の、落葉樹の高い梢に営巣して雛を育てます。
そこは、よく車が通るアスファルト道路に面した緩やかな斜面に段々畑が広がり、その端に数軒の農家が身を寄せ合うように昔ながらの風情で点在するところから丘を登り切ったその向こうに広がった里山の、また一つ奥にある二つ目の里山です。広さは野球場ほど。一番奥へと続く畑の左側の小道を行くと、やがて平坦な道と畑は終わって急な山道となります。決して高くも大きくもない山の麓には小川が流れ、この水が小さな畑の灌漑に利用されています。
サシバが営巣する林は、その北側に広がる緩やかで、その地方としては広大な農地との境目となっていて、巣がある梢からは農地のはるか向こうに広がる玄界灘が見渡せるはずです。サシバは巣の前にある畑や、耕作が放棄されている隣のかつて畑であった草地で餌を獲り、子育てをしています。
そして繁殖初期にはあのおなじみの「ピックーイ、ピックーイ」という高い声を連発して、雌雄が愛を確かめ合い、繁殖に入ったあとも警戒のために時折り林の縁を舞いながら独特の声で鳴きます。
そんな里山のサシバを眼で見て声を録音したのは、もう今から7年前です。
たまたま、今年2018年の4月の終わりに、この里山からまっすぐ西へ10キロほど行ったところにある同じような里山で、渡り途中のコマドリの声をライブで録音しょうとしていた時、頭上でサシバの声を聞きました。それは私が久しぶりに聞くサシバの声で、いかにも日本の里山の音の原風景を聞いた感じがして、とても懐かしさを覚えました。
コマドリは移動中の個体のはずなので、それから一週間後にこの時鳴いたサシバに目標を限ってその場所にタイマーによる放置録音をしてみました。結果は残念ながらサシバはまったく鳴いていませんでした。コマドリが鳴いた日に、同時に頭上を舞って鳴いたサシバも移動中のものだったのか、あるいはこの辺りの地形など条件が繁殖地の候補として気に入らなかったのか、ほかの環境を求めて飛び去って行ってしまったのでしょう。
私たち録音をする人間には二通りの失敗があって、一つは狙いの鳥がいるはずなのに、こちらが想像するように鳴いてくれなかった、または鳴いたとしても気象条件に恵まれず、風や雨などの思わぬノイズのために良い録音にならなかったケースです。じつはこの最初の場合がもっとも多く、慣れているのでまた挑戦し直そう、で済まされます。
どうしようもないのが二つ目のケースで、とくに季節の漂鳥、渡り鳥の場合にある事例で、そのポイントで声を聞いた時に、その場所に落ち着くものと期待して録音をセットするなり、日日を置かずに再訪問すると、期待に反して姿も声も消えてしまっている事例です。相手がこちらの期待に反して、どこかへ飛び去っているのでどうしようもありません。「どこかへ行くなら置手紙の一つもくれたらいいのに」とぼやきの一つも出そうな気持ちになります。
自宅付近の公園の一角ならまだしも、車で1時間近くも走ったお気に入りの里山でこんな思いをすると、これだけ経験を重ねて来ても気持ちは落ち込みます。
さて、今回の話のきっかけとなったサシバがどこかへ行ってしまったことが分かった時、私の頭の中にパッと灯りがともりました。
この稿のはじめに書いたサシバに出会ったあの里山です。「そうだ、久しぶりにあそこのサシバに会いに行ってみよう」。私は、今もそこにあの里山の風景が広がり、この初夏もサシバが渡って来ているとばかり勝手に想像して早速出かけて見ました。
その里山には何回も出かけているので、一つ手前の傾斜地の勝手知った道のわきにあるスペースに車を止めて、歩いてさらに奥にあるもう一つの里山に向かいました。しかし、歩くほどに何か違和感を覚え始めます。
本来人の手が入っているのが里山の条件の一つですが、人の気配がまったくしないのです。草は茫々で、畑の跡には背丈が4〜5メートルもある潅木の繁みが広がって、起伏が少ないただの緑深い山の風景が広がっていたのです。
サシバの親が、巣で待つ子供のために持ち帰る蛙やトカゲ、バッタを捕らえた林の前に広がっていた開けた畑のようなスペースはもうどこにもありません。ただ、緑の海が広がっているような光景に私はがっくりとうなだれてしまいました。
「サシバはどこへ行ってしまった?」
今日も全国のどこかで私がこの初夏に見たのと同じ光景の変化が起こっていることでしょう。およそ半世紀ほどの間に、日本全国にあった数万、数十万を数えたはずの里山、里地と呼ばれた日本の生態系の大切な部分を支えていた自然の一つの形態が、時代の大きな変化とともに姿を消してしまいました。
里山は数百年もの長い間、人間が日々の暮らしのために、例えば、林の木々は煮炊きのための燃料を確保するために利用してきました。また、田畑で生産された農作物を利用して栄養を確保してきました。間違いなく言えることは、そこは人間が絶えず手を入れて、例えば燃料や椎茸を採る木材を得る林は定期的に伐採して再生管理をしてきたのです。畑や棚田は人によって良く管理されていました。
管理された里山の環境は、野鳥をはじめとする生態系にとっても好ましいもので、植物群落、動物群、微生物の群集とがよく調和して豊かな生態系が活き活きと存在できたのです。しかし、それらは人が良く手を加えることで成り立つ絶妙なバランスの上に存在し得た自然ですから、その後進んだ経済発展、とりわけ早い時期に進んだエネルギー革命により里山の二次林の存在価値が失われ、また、里の人々の高齢化も一因となり里山という自然は多くが姿を消し同時に生態系が崩壊してしまいました。
姿を消したサシバの気持ちになって、もう無理と分かってはいるものの里山の再生をはかなく夢見る今日この頃です。

(終わり)

(「野鳥だより・筑豊」2018年8月号 通巻486号掲載、2018-07-29)

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