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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2025-04-20

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

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目次

シンボルマーク録音活動を回顧して・外国での録音、その三

前回は「外国での録音、その二」として、わが国に仏教文化のみならず建築、美術、薬学など当時としては先進の文明をもたらした鑑真和上ゆかりの、中国・江蘇省揚州市の大明寺へ旅した話を書きました。境内のゴイサギのコロニーが印象的でした。
さて、中国の第三回目をどうしようかと思案していると、折りしも武漢発の新型コロナウイルス感染症で世の中がたいへんな騒ぎとなってしまいました。
そこで、グッドタイミングと言うべきか、あるいはその逆と言うべきか、急遽“武漢”への録音旅行を体験した話を取り上げることにしました。
読者の皆さんすでに報道などでご存知のように、武漢は中国・湖北省の省都、人口およそ1,100万人の大都市です。
なお、都市名は武漢ですが、じっさいには武漢という場所はありません。武漢三鎮と言われる武昌・漢口・漢陽の三地区から成り立つところから武漢市が生まれました。
清朝末期、イギリスとのアヘン戦争で大敗を喫した清政府は、南京不平等条約によりイギリスに香港を割譲したのをはじめ、西洋列強に上海など五港を開港します。
また、武漢にもイギリス、フランスなどの租界を認め、中でも直接的な戦勝国であったイギリスは一等地であった漢口地区に広大な租界を作りました。
私が武漢を訪れた2005年でも租界時代のイギリス風の立派な石造建築がいくつも残っていましたから、上海のバンド(外灘)同様モダンな街並みは、当時の中国の街々の中でも先進的で清潔な印象を見るものに与えていたと思います。
そんな武漢から、しかも21世紀のこん日になって、食用にされた野生生物が原因で今回の新型ウイルスの感染が広がったと言いますから皮肉な話だと言えます。
一見すると清潔でモダンな街並みであっても、一歩裏通りに入ると、怪しげな食べ物が今も提供されている通りがあったりする中国、伝統食文化と言えばそれまでですが、摩訶不思議そしてカオスが現存する国と言えそうです。
まあ、そこが私のような向こう見ずな旅を平気でする人間には魅力的なところなのでもありますが。
さて、武漢を訪れたらまずは真っ先に行ってみたい場所があります。それは古い時代から漢詩などの舞台となったことが多い“黄鶴楼(こうかくろう)”です。
唐代の有名な詩人・李白が詠んだ詩「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」(之くは“ゆく”と読みます)は特に有名で、私のような中国語を半端に学んだ者にとっては、痺れるような、そして涙が出そうな名詩です。
「故人西辞黄鶴楼 煙花三月揚州 孤帆遠影碧空尽 唯見長江天際流」
(故人西のかた黄鶴楼を辞し 煙花三月揚州に下る 孤帆の遠影碧空に尽き 唯だ見る長江の天際に流るを)注:天際は地平線、水平線のこと。
李白が、親友の孟浩然(同じく著名な詩人)が長江を下って揚州に旅立つのを万感の思いで見送った時の詩だとされています。当時は街を一歩出て旅路につくと、盗賊や疫病、嵐や飢えなどありとあらゆる災厄が待ち受けているかもしれないので、黄鶴楼での二人の別れは、ほとんど今生最後となるかも知れなかったのです。
そうした切々とした心情がこの詩には込められているので、だからこそ今もこの詩は多くの人の心を打つのだと思います。
この黄鶴楼ですが、五層からなる楼閣です。しかし例えばわが国の薬師寺などの五重塔に比べると遥かに大きくかつ重厚な建物で、今は長江大橋を見下ろす丘“黄鶴楼公園”のほぼ中央に聳えています。しかし今、私たちが見ることができる現代の黄鶴楼は、1981年に新しい技術と材料で建て替えられたものです。
公園の周りは幹線道路もあって、今より近代化がそれほど進んでいなかった2005年当時も通行する車両は多くて、また中国の運転手は何かにつけてクラクションを鳴らすので、とてもとても野鳥の録音には適さない場所でした。
それでも丘の端には緑の樹々もあって野鳥の声が多く聞こえていました。
その中で印象的な録音ができたのは、背の低い潅木の中から聞こえて来た一羽の鳥の美しいさえずりでした。それは、2014年に台北市内・大安森林公園で美しいさえずりを録音させてくれた籠脱け鳥“シキチョウ”の鳴き声だったのです。
台湾では籠脱けとされているシキチョウは、当時の武漢ではどうだったのでしょうか、
真実は不明のままですが、普通に野鳥であったのではないかと今は信じています。
2分以上マイクに近いところで鳴いてくれた後、シキチョウはくるりと背を向けて飛んで行ってしまいました。その後姿の背が、折からの光の関係か、ルリビタキより濃い青い色をしていたことが今もくっきりと思い出されます。
黄鶴楼公園での録音を今聞いてみると(当時はMDレコーダー)、他にはシロガシラが多く聞こえます。長江流域地方ではスズメより数が多い印象でしたから当然の結果と言えるでしょう。
武漢でほかに有名な景勝地で、自然豊かな場所としては“東湖公園”があります。
広々とした湖面に豊かな水、湖畔には柳の枝が青々と風になびいていました。
この東湖で有名なものが、あの毛沢東も愛したと言う名物料理“武昌魚(ウーチャンユィー)”の蒸し物です。東湖公園を歩いているうちにちょうど昼を迎えたので、湖畔の食堂に入って、この“武昌魚の蒸し物”を注文しました。その頃はすでに養殖されていた淡水魚なので、いくらか独特の匂いがしないこともなかったのですが、私たちが知る鮒などの鯉科独特の臭みは感じられず、美味しく食べることが出来ました。
「郷に入れば郷に従え」。旅の楽しみとして実践すべきこと、私がいつも大切にしている心がけです。「この魚が、あの毛沢東が好んだという武昌魚なのだ」そう思って食べると、それなりに感慨が沸いて、味もまた格別に思えてくると言うものです。
東湖公園ではシロガシラはもちろんオナガ、ハッカチョウ、数種類のサギにも出会うことができました。
武漢での最終日、空港へ向かう途中にある“開放公園”に立ち寄ってみました。
とても大きな公園(中国ではどこでも大抵そうですが)で、緑の樹木も多く鳥も沢山いました。なかでも特筆すべきは私の大好きなクロウタドリが多くいたことです。
しかし、子連れで訪れている人たちが多かったこと、また軍用も兼ねた武漢空港が近いことから航空機のエンジン音がひっきりなしに聞こえて来て、私が望むいわゆる“使える”録音はできませんでした。
ここ開放公園での良い録音としては、二胡を弾いている男性二人に声をかけたら「日本人だろう?じゃこれを聞いてくれ」とばかり演奏してくれた「北国の春」でした。
武漢を思い出して思うこと、一日も早くウイルス騒動が治まることです。

(終わり)

2020-03-08掲載

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