田中良介
目次
録音活動を回顧して・外国での録音その六 中国の最終回
前回は「外国での録音、その五」として、中国安徽省の省都・合肥市での思い出を書きました。毎回まるで旅行記のような内容になって、野鳥の会の皆さんへの記事としては不適切かとも思いますが、少しでも、近い隣国の文化も知って頂きたいとの願いもあって今回も拙文を綴らせていただきたいと思います。
さあ、中国最後は何と言っても、やはり北京!です。この大きな街にオリンピック前年の2007年の5月上旬にとても感銘深い旅をしました。
歴代王朝の首都として、限りなく華麗で途方もなく豪華、巨大でありながら精緻な歴史遺産と人々が育んだ市民文化が色濃く数多く残る街、一方では近代化が物すごいスピードで進んでもいました。
私と妻がなぜ北京オリンピック前年に北京への旅を計画したかということですが、オリンピックに備えて当時北京の街は大改造をしていました。
とくに、庶民の町である“胡同(フートン)”を構成する一般庶民の住居である“四合院”(方形の中庭を囲んで、東西南北四棟を単位とする北方中国の伝統的民家)の多くが取り壊されると報道で知り、その前にぜひそうした古い北京の町並みを瞼に焼き付けておきたいと思ったからです。
日本人なのに何もそこまでしなくても、と一般の皆さんは思うでしょうが、中国語の勉強を始めた時から中国の、分けても近・現代中国の文化に強い関心があった私としては、2007年の北京をどうしても見ておきたかったのです。
旅の日程は丸二週間。二泊三日のツアーに参加する北京旅行では、例えば紫禁城は、天安門から入って、出口となる神武門を最後にするまでわずか二時間程度(過去に経験あり)です。広大な“天壇公園”や“頤和園(いわえん)”も同様です。料理で言えば豪華なディナーをほんの少し味見をしただけのようなもので、ほんとうの素晴らしさが分からないままの甚だ欲求不満が残る経験となります。
そこで私たちは、例えば紫禁城も頤和園も、それぞれ丸々一日をかけて徹底的に見て、学び、楽しみたい、運が良ければ野鳥にも出会いたいと計画を立てました。
ほかには前々からぜひ行って見たいと思っていた“天壇公園”、一つの町が全部お茶に関わる店で成り立つ“馬連道”、日中戦争の発端となった“盧溝橋”、ラストエンペラー・溥儀が育ち、新中国ではあの宗家の三姉妹の一人宋慶麗の住居となった“醇親王邸”、中国最後の宦官が晩年を過ごした小さな“仏教寺院”などなど私なりの拘りの場所、なにより庶民が毎日暮らす下町もゆっくり歩いてみたいと思って綿密な行動予定を建ててその旅行に望みました。
前述のように、北京は歴史遺産も多くあり、当然緑にも恵まれた場所もありますが、なにしろ大都会です。多くは望めないにしても、それまでに経験した長江流域とは違う北方中国気候帯ならではの野鳥にも出会えるかも知れません。
そうして、2007年5月12日の朝、私たちは北京への“冒険旅行”の第一歩を踏み出しました。いつも申しますが、私の近隣アジア諸国への旅はいつも孤独な一人旅(妻と二人であっても)です。また、極力自分の足で歩き、なるべく大通りから一つ裏道を歩いてその国の人々と直に接する“触れ合い旅”でもあります。
天壇公園→盧溝橋→お茶の町・馬連道→故宮(紫禁城)→老舎茶館(北京の伝統芸能を楽しむ寄席のようなもの)→三つの宗教寺院(北京最古のキリスト教寺院・チベット仏教寺院・イスラム教寺院)→宋慶麗故居→頤和園→陶然亭公園→瑠璃廠(書道・文具・骨董の街ルリチャン)→花鳥市場など順調にスケジュールをこなして行きました。
ただし、この季節の北京はただでさえ空気が乾燥します。その上に市内いたるところで古い建築の解体と新築工事、また道路の拡張と舗装をしていて空気は埃だらけ、強い風と暑さ、そして埃には参りました。マスクを持参していなかったので、妻も私もハンカチで顔を覆って後ろで縛り、「まるで強盗のようだね」と笑いあう毎日でした。
それでも、もっとも見たかった“胡同”と、その町々の細い通りに面した“四合院”も、持ち前の厚かましさを発揮して住人とすぐ友達になって中に入れて貰い見学することが出来ました。多くの“胡同”がオリンピックに備えての大工事の中で取り壊されつつありましたが、私の中国語の先生が育った“頭髪胡同(トゥファフートン)”は健在でした。後日報告した時の彼女の「很好了!(良かった)」が忘れられません。
さて、問題の北京の野鳥についてお話せねばなりません。印象的な思い出だけ書いておきましょう。前述のように、北京は大都会です。緑があるにはありますが、それらは決して自然の緑ではなく、ほとんどは公園局が管理する人工的な緑です。当然多種多様な鳥にはめぐり合うことはできなかったのは仕方がなかったと思っています。
江南(蘇州など長江流域)で多く見たカササギはさすがに北京では見ることがなく、その代わりにいたのはオナガです。紫禁城を一日がかりで見た帰り道に通った商人の街の並木ではオナガが多く繁殖しており、頭上には切れ目なくオナガの姿がありました。また、印象的だったのは、清朝第三代皇帝雍正帝が出た雍和宮を使用した北京最大のチベット仏教寺院では、境内のいたるところで参詣客の頭をかすめるように飛び回っていた無数のツバメ(種名不明)は「ビルルル・・・」と金属的な鳴き声を上げていましたが、あまりにも飛ぶ速度が早く録音は無理でした。
私たちが滞在した北京外城門の一つ“崇文門”から歩いて1時間の陶然亭公園では池に面したベンチで休憩していた時、不意に背後の小さな森からセグロカッコウの鳴き声が聞こえてきたことがありました。折柄にわか雨の直前で、突風が吹き始めてもちろん良い録音にはなりませんでしたが、はじめてこの鳥の声を知った思い出深いシーンとなりました。英彦山でこの鳥の声を聞いたのはずっと後のことです。
北京でもっとも印象に残ったのは、陶然亭公園に行った日、いつものように大通りを避けて、古いアパートが立ち並ぶ下町の小さな通りを歩いていた時、通りの片側に植えられているポプラのような並木の上から綺麗なさえずりが聞こえてきました。
私は、のんびりと道端で話をしているおじさんたちに「あの鳥の鳴き声は、誰かが飼っているものですか?」と指差して尋ねました。すると、一人がさも自信ありげに「そうだよ」と言います。しかし、聞いているとその鳴き声が移動して行くことに気がつきました。「あれは飼い鳥ではありませんよ」そう言って、私はマイクを取り出して鳥たちの方へ向けます。すると、たちまち辺りに人たちが集まってきてワイワイガヤガヤ。当然良い録音にはなりませんでしたが、後にこの鳥たちはコイカルであることが分かりました。鳥の声よりも、このことがきっかけとなって、そこで多くの北京の下町の人々と交流できたことが良い思い出となりました。
(おわり)
「野鳥だより・筑豊」2020年7月号より転載
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