田中良介
目次
録音活動を回顧して・外国での録音 韓国編その3
2011年の韓国への録音旅の2回目として、前号では慶尚北道・安東市の世界遺産“河回村"で、素晴らしい鳴き声のコウライウグイスや可愛いダルエナガに出会った話をしました。そこからさらに旅を続けます。
今回は、そもそもこの二週間にも及ぶ韓国への録音旅行を決断するきっかけとなった、五木寛之さんの「21世紀の仏教韓国編」で紹介された“太白山・浮石寺"です。
いわば満を持しての訪問です。
そもそも、なぜ私がこの浮石寺に強く惹かれたのか、それを説明しなければなりません。NHKのその番組の中で、五木さんが住職の方と仏教談義をする背後で、この古い仏教寺院の境内や韓国最古の木造建築という本殿の佇まいや、周りの自然の様子が紹介されます。まずはその風景に惚れ込んだのです。また、夕刻になると修行僧によって大きな迫力ある太鼓と、韻々として回りの山に溶け込んでいくかのような梵鐘が打ち鳴らされる音と光景にも強く憧れを持ちました。重ねて言いますが私は特定の宗教を持たない人間です。しかし、この放送の中で紹介される浮石寺とそこで行なわれる日常の儀式には録音をするものとしてとても強いインパクトを感じました。
“河回村"から安東市のバスセンターに戻って、次の目的地“浮石寺(プーソクサ)"の拠点となる街である栄州(ヨンジュ)にバスで移動しました。
ここで、浮石寺という古い仏教寺院の建立と、寺の名前にもつながる伝説について予めお話しておきましょう。
この寺院が建立されたのは7世紀のこと。開基は義湘(ぎしょう)で、わが国の空海のように唐で勉学を積んで当時の新羅に帰国した人物です。帰国後に新羅王の命を受けて多くの仏教寺院を国内に建立しましたが、浮石寺はその義湘によって作られた三つ目の寺院だとされています。場所は今日の太白山国立公園の一部の小白山の一部、現代韓国の東部に当たるところです。
“石が浮く寺"という不思議な寺院名にも私のような人間の心をひきつける伝説があります。義湘はもちろん実在した人物で、671年に唐に渡っています。
伝説によると、海を渡った義湘は中国山東半島に上陸し、そこから唐に向かいました。旅の途中たまたま“善妙(ぜんみょう)"と言う名の女性が、顔姿が凛々しい義湘を見初めます。唐での勉学修行を終えて帰国する道すがら、再び善妙は義湘に出会います。そして「私をぜひ妻にして欲しい」と懇願するのですが、義湘は「私は仏に仕える身、あなたの希望に添えません」と断り、港から船出をしてしまいます。
後を追った善妙が港に着いた時、すでに義湘が乗った船は遠く沖合いにあり、善妙は悲しんで海に身を投げました。義湘の船は嵐に遭ったり、海賊船に襲われますが、その都度一匹の龍に救われます。その龍は善妙の生まれ変わりだったのです。
浮石寺の建立時にも工事の邪魔をする人や山賊に襲われますが、今度は大きな岩が飛んで来て、不届きな連中を懲らしめてくれ、無事に寺は開山の日を迎えることが出来ました。それは676年のことです。この伝説に出てくる空飛ぶ岩は今も浮石寺の本殿にあたる無量寿堂(韓国最古の木造建築、現在のものは1687年に再見されたもの)の裏にあり、いくつかの小岩の上に鎮座しています。見たところ厚さ50cm、奥行き2m、幅3mもある平たい岩です。
私がこの浮石寺を訪問した日の午前、境内ではさかんにジョウビタキがさえずっていました。普通、渡り前までのジョウビタキは「ヒーヒー、カッカッ」と鳴いていて、日本にあってはさえずりを聞くことができないのですが、そのジョウビタキがここ浮石寺の境内でさえずっているではありませんか、それも境内のいくつかのお堂の屋根の隙間に営巣しているらしく、寺院の外には出て行かないで鳴いているのでした。
私が小躍りしたことは言うまでもありません。しかし、折角のさえずりもわずか5秒か10秒さえずったかと思うと鳴くのをやめ、ぱっと場所を移動してしまうのです。
朝早い時間ならば、もっと落ち着いてさえずるだろうと私は見当をつけ、傾斜の急な境内をジョウビタキに翻弄されるのをやめました。
午後になり、「日本から寺を尋ねて来てくれたのはあなたでしか?」と流暢な英語で私に声をかけてくれたのは、退職後この寺院のボランティアガイドをしているというL氏。私が来意を説明し、夜に鳴く鳥を録音する為に山の中にタイマーをセットしてレコーダーを置きたいと告げると、「それはグッドアイデアです、この寺の裏山にはいろいろな鳥が多いですよ、私が案内しましょう、着いて来てください。」と親切に言ってくれます。
商社マンだったので、世界中に出張したとか、流暢な英語はきっと彼のビジネスの武器だったに違いありません。退職後は自然が大好きなので、ここ小白山に住み、英語力を生かして、浮石寺のボランティアガイドをしていると言いながら、どんどん境内の裏山を登っていきます。私はこの時点ですでに70歳を過ぎていたので、彼の後について行くのがたいへんでした。
やっと2台のレコーダーを設置し終わったところで「ところで田中さん、今晩から明日朝は雨になりますよ、雨だと多分鳥は鳴かないでしょうね」と言うではありませんか。それなら先に言って欲しかった。でも、今更そう言われても後の祭りです。
結果は彼が言うとおり、日が暮れた後から次の早朝までレコーダーに入っていたのは雨の音だけでした。
せめてもの救いは、翌朝早く回収に出かけた浮石寺の境内では、多少の雨音はバックに入ったのでしたが、はじめてのジョウビタキのさえずりの声を、前日と違ってもっと長く録音することができたことでした。
なお、私は最近になって昭和10〜25年ごろに書かれた野鳥関係の著作物(内田清之介氏、中西悟堂氏など)を読む機会があったのですが、当時すでにかなり正確な野鳥の生態が記述されているのを知りました。しかし、ジョウビタキの繁殖地については、中国大陸東北部からロシア東部と大雑把にしか記述されていませんでした。
おそらくですが、私がこの旅行を実践した2011年当時でも、私を含め多くの野鳥フアンは、ジョウビタキの繁殖地をそのように理解していただろうと思います。
しかし、後でまた取り上げると思いますが、じつはジョウビタキは朝鮮半島のかなり南部でも繁殖していました。
私が想像するに、ジョウビタキに限らず冬鳥たち(例えばシロハラも)は、冬を過ごした日本の地を離れて日本海に飛び出して、朝鮮半島が視界に入って来ると、もう矢も盾もたまらなくなって地に下りてしまうものが多くあるのでしょう。 (おわり)
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