田中良介
目次
録音活動を回顧して・外国での録音 韓国編その4
2011年の韓国への録音旅の3回目として、前号ではそもそも私が始めての、しかも2週間もの韓国録音旅行を決意するきっかけとなった慶尚北道・栄州から行く“浮石寺"での話を書きました。前夜から朝までの雨でタイマー録音が駄目になり、唯一の救いは、朝の小雨の中、初めて聞くジョウビタキのさえずりを録音ができたことでした。旅の主たる目的地は韓国の山の中にある古寺を訪ねることでしたが、今回は趣がかなり異なる訪問地である“百済国"終焉の地である忠清南道の扶余(プヨ)での貴重な寄り道・道草経験を書きたいと思います。
ところで、日本の姓の280ほどは朝鮮ゆかりのもので、その中で半分が百済に関わりのあるものだと何かの本で読んだことがあります。韓国ならではの野鳥の鳴き声を求めての旅の途中で、あえて興味本位での寄り道をすることになったのは、6世紀頃から人の往来があり、仏教をはじめとする多くの文化をもたらして、日本との結びつきがとりわけ強かった歴史の街である百済の地を自分の足で歩いてみたいと思ったからです。
百済国最後の城・泗沘(しび=韓国読みサビ)城の史跡が残っているところが、街外れにあるお椀を伏せたような低くて緑が濃い山・扶蘇山です。山を登り始めて驚いたのですが、歴史をたどる山の小道のそこここでコウライキジ、コウライウグイスなど多くの野鳥の鳴き声が聞こえてきたことです。はじめは百済の滅亡の歴史をしみじみと味わう一日にするつもりが、ついつい習性が出てしまって、手持ちレコーダーを鳥たちの声のする方向に向け続ける忙しい一日ともなってしまいました。
そうして山の最上部を通り過ぎて傾斜の急な下り道を行くと、有名な“落花岩"の上に出ました。ここは圧倒的に数が多い新羅と唐の連合軍の兵士に辱めを受けたくないと、3000人もの官女が身を投げたといわれるところです。
ちょうど、太平洋戦争末期にサイパン島で日本人女性が米軍兵士の辱めから逃れるとして1万余の多くが高い岩から身を投げたという“バンザイクリフ"と似た場所です。
落花岩の先を降りると川・白馬江(ペクマガン)があります。
中大江皇子が百済再興を目論む勢力の要請に応えて四万人の兵と軍船800隻を派遣するのですが、再び唐・新羅連合軍に敗れてしまい、白馬江の先にある白村江(はくそんこう、またははくすきのえ)を真っ赤に染めたといいます。
日本軍は生き残った兵士と亡命百済人を連れ帰りました。百済の人々ははじめ奈良に住んだのですが、後に多くの人は宮崎に移り住んだといわれます。そんなわけで私たちの中には遠く百済を発祥とする血が流れている人が身近にいるかもしれません。
さて、白馬江という川に出る手前に、この当時の戦の犠牲者を弔う皇蘭寺という小さな仏教寺院があります。私がそれまでに訪ねた、そしてこの後訪れる予定の韓国仏教寺院に比べると、ほんとうに小さなお寺ですが、私がそこに立ち寄った時は、ちょうど川岸の船着場から上がってこの寺に詣でた数人のグループの人たちが線香を手向けているところでした。
その人たちが立ち去った後、私もおよそ1350年前の悲劇で散った日朝双方の犠牲者の人たちの鎮魂の祈りを捧げました。日ごろ仏壇にも手を合わせない私でも、7世紀に起こった悲劇の史跡を半日以上歩いている間につくづくと戦い敗れた人々の阿鼻叫喚の声が野鳥の声に重なって聞こえるような心持になったからでした。
私が手をあわせていると、後ろから小さな女性の声で「日本人ですか?」と言う声がしました。「私は子供のころ学校で日本語を勉強しました。もうほとんどわすれましたけど。」そういって小柄な老婦人はやさしく微笑んでくれました。
旅先ではいろいろな人に出あいます。とくに一人旅では印象深い出会いがあります。私のこの2011年の2週間の旅では、必ずしも優しい人ばかりではなかったのですが、はるか7世紀の昔、自分が今立っている地面がおびただしい人の血で染まっていただろうと、さすがの私も何とも言えない沈痛な心境に沈んでいたのを、この優しい韓国の老女性の声かけに救われた思いがしました。
さて、扶蘇山の朝に戻りましょう。韓国の人々はとても山登りやウォーキングが好きな印象があります。百済最後の地であるここ扶蘇山には、城跡ははっきりとは見えないもののあちこちに小さな石垣などの痕跡が残り、それを巡るように無数の遊歩道がありました。
鳥の声を聞きながら、録音ボタンを押し続けながら、そうした小道を登って行くと多くのウォーキング中の韓国の人と出会いました。日本ではそのような山中では、知らぬ者同士であっても「こんにちわー」と大抵互いに声かけをします。
私はいつもそれをやり慣れているので、ここ扶蘇山でも韓国の男女とすれ違うたびに「こんにちはー」とか「アンニョンハセヨー」と声に出します。この時の韓国の人々の反応にはこちらが驚きました。
大抵は「ギョッ」とした顔で振り向かれるか、または「失礼ね」と言う怖い顔をして無言で通過されます。たまには「あっ、あ、アンニョンハセヨ」と慌てたように言う人もありました。帰国後この話を知り合いの韓国人にしたら、韓国では山の中で知らない人と声を掛け合う習慣はまったくないとのことでした。“御国変われば品変わる"ですね。
本誌の趣旨に戻り鳥の話をしなければなりません。
百済終焉の地・扶余の扶蘇山では、始めに述べたようにたくさんの種類の鳥の声に出会いました。その中で特筆すべきは、カササギとオナガが一緒に鳴いていたことです。
なんでもないことですが、日本では佐賀と福岡の一部でしか聞かないカササギの声と、
東海、関東でしか聞くことがないオナガの声を一緒に、しかも同じ場所で姿を見て声を聞き、録音できたのはとても珍しい経験だったのではないでしょうか。
最後にもう一つ脱線です。雑学ものです。
高句麗と書いて「こうくり」、新羅と書いて「しらぎ」。音は少し違うものの漢字の読みとしてはあまり違和感を持ちませんが、百済(ひゃくさい)と書いて「くだら」は不思議です。この読み方は日本人が勝手に当てた読み方で、その昔奈良の都で百済の渡来人が、国のことを「ク」と言い、故郷のことを「ナラ」と言ったとか。そこからクナラ→クダラと言うようになったらしいのですが、皆さんご存知でしたか?
わが国の歴史上でも大事件であった百済の滅亡と言う出来事と、野鳥がたくさん鳴く扶蘇山は、歴史好き、野鳥好きの人にはぜひ訪れて欲しいところです。 (おわり)
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