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クマタカ
くまたか (日本野鳥の会筑豊支部)
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modify:2021-02-25

シンボルマーク

録音でつきあう
野鳥の世界

田中良介

目次

シンボルマーク録音活動を回顧して・外国での録音 韓国編その6

前回は、全羅北道・全州市でプルコギ騒ぎをして、とても親切な韓国人紳士に出会った話を書きました。今回は2011年の私の旅行では、韓国のもっとも南西部に位置する海辺の町での経験です。「木浦(モッポ)」という町の名を聞いた人はないでしょうか?年配の読者の皆さんはあるいはご存知かもしれません。
野鳥の鳴き声を求めて韓国各地を巡る旅の中で、二ヶ所だけ本来の目的に関係のない私自身の拘りの町へ行きました。それは百済の滅亡時の都であった扶余と、今月号に取り上げる“木浦(モッポ)"です。
そもそも私は小学生のころからモッポと言う地名を知っていました。それは当時の
ラジオだけの時代にNHKの第2放送で毎日“気象概況"という天気予報をやっていて、国内では石垣島にはじまり、那覇から北へおもな町の名を言って、その都度例えば「北東の風風力4、天気曇り、気圧1016ミリバール、気温21度」と言う感じで、地名が南から始まり北に、そしてまた南に移って行きます。日本は根室、稚内までで続けてボロナイスク(注:サハリン)、ハバロフスク、ウラジオストクなど、つぎになぜか南に飛んで台北、恒春(注:台湾最南部)、長春、北京、大連、アモイ、さらに韓国に移りソウル、ウルルン島、プサン、チェジュ、そしてモッポと続きます。この町々の名をなぜか毎日のように聞くうちに、子供心にそこがどんな国で、どんな町なのだろうと半ば憧れのようなものがいつのまにか心の中に芽生えていました。
とくに“モッポ"という音の響きがなぜか特別な感覚として私の耳にこびりついていました。後に、その町が韓国の南西部にあり、朝鮮統治時代はこの海辺の町に日本総領事館が置かれ、日本人がたくさん住んだ街と知って、なおさら“木浦"には特別の感慨を持つに至りました。
そんなわけで、プルコギの一件で思い出を作った全州市からバスで全羅南道の中心都市・光州市に行き、そこからバスを乗り換え木浦に向かいました。到着後すぐに宿を見つけて荷物を置き、何はさておきまずは港に向かいました。“モッポの涙"という歌でも切なく歌われるモッポの港。多島海に面した静かな港町、木造の桟橋に木造の船。港町ならではの海岸通りのノスタルジックな風景が見られるとばかり思い込んでいました。
しかし、私が目の当たりにした現在のモッポの港の風景は、まったく予想に反して、腰を抜かすような驚きの超近代的な港の風景が広がっていました。まず目につくのが旅客ターミナルの建物。例えが飛躍しますが、オーストラリア・シドニーのシンボルであるオペラハウスのような銀色に輝く円を半分に切ったような高い屋根の近代建築がありました。すっかり整備された岸壁には、木造船ではなく、いかにも速度が出そうな流線型のクルーズ船が横付けしています。
岸壁通りはコンクリートで舗装され、私の頭の中に勝手に描いていた、女性が涙を流す港町の風景は、見事に吹き飛んでしまったのでした。港の海面を見下ろすと、私の頭の中に描いていた色ではなく、水の色は墨を溶いたような真っ黒い色をしていて、あんなに憧れていたモッポの印象がガラガラと音を立てて崩れ去るのを感じて、なんとも泣きたくなるような淋しい思いがしたのを今も悔しい気持ちで思い出します。
もちろん鳥の姿などあろうはずがありません。
しばしあって、私は気を取り直して、観光客目当てに海岸通りにずらりと並ぶ海鮮料理屋の、とある一軒に入りました。どこの店も同じですが、店先には水槽を何段にも置いて、生きた魚介類を活かしています。客は生きている好みの魚介を指定して料理してもらって食べるというシステムです。
私はその店の水槽で、見たこともない不思議な生き物に目を奪われました。それはピンク色をしたウインナーソーセージのような生き物で、クネクネと固まりになって水槽の底で蠢いています。店の女主人らしき人に「これは何ですか?」と聞くと、「ゲブルよ、ゲブル。おいしいよ。」と片言の日本語で言います。私はゲテモノは平気なほうですから、この“ゲブル"と“ホヤ"の刺身、そしてもちろんビールを頼みました。席は椅子ではなく、韓国らしい上がり座敷です。ややあって運ばれてきた“ゲブルちゃん"は生きていた時よりも赤みが増しています。ワサビやコチュジャンと醤油でいただきました。見た目よりずっと美味しく、食感からナマコの仲間だと分かりました。
さて翌日、まっ黒な海を離れてバスに乗り、“カッパウイ"という不思議な形をした岩がある観光名所へ出かけました。外海に面している岩礁地帯だそうで、そこなら私の大好きなイソヒヨドリに会えるかもしれません。
しかし、バスを降りて低い山に沿って続く道を歩いて海に出て眺めた不思議な奇岩の辺りの水は、たしかに昨日の黒い海ではなかったものの、岩場の海岸にはまったく生き物の気配がありませんでした。もちろんイソヒヨドリもいるわけがありません。
バス通りに帰る途中、右手の丘の上から鳥が鳴く声がしたので、連日の強行軍ですっかりひどくなった膝の痛みを我慢して登ってみました。そこは平らな丘になっていて無数の小道がありました。例によって山歩きの好きな韓国の人々がたくさん歩いています。鳥の声もするのですが、低い潅木でシロハラが鳴く程度なので録音は諦めて、もとのバス通りへ降りようとしたら、これがたいへん。降りる小道がいくつもあって、結局やっと降りたところは全然記憶にない通りで、バス停がそもそも見つかりませんでした。困った私はたまたま近くにあった警察の派出所に入って、港の旅客ターミナルに帰るバスの乗り場と行き先番号を尋ねました。派出所には4〜5名の若い警察官がちょうど昼食を食べているところでした。
「送って行ってあげるから、食べ終わるまで少し座って待っていてください。」そう言って、椅子を勧めお茶を出してくれます。食事が終わるとその内の一人がパトカーに乗せて、私が希望するところで下ろしてくれました。言葉(英語)がよく通じないので会話もなかったのですが、私を日本人と分かって親切にしてくれた人にまたここでも出会いました。丁重に礼を言って、Uターンして行くパトカーを見送った私は、宿で荷物をまとめて光州バスターミナルで乗り換え次なる目的地・順天(スンチョン)へ向かうことにしたのですが、このバスに乗る時にちょっとしたトラブルが起こりました。それは次回にお話しするとして、あんなに憧れていた“木浦(モッポ)"の町が、想像とはあまりにもかけ離れた風景であったことにショックを受けて、この時の私の肩はしょんぼりと落ちていたと思います。あの戦争が終わって66年が過ぎ、韓国に戦前の風景が残るのは稀なこと。淋しくて残念な“モッポ"でした。 (おわり)

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