田中良介
目次
録音活動を回顧して・外国での録音 台湾 その2
台湾の素晴らしさは何と言っても野鳥を含めて自然の豊かなところだと思います。
現在はコロナの関係でまったく両国の往来ができない残念な状態が続いていますが、いずれこの災厄が解決した折はぜひ皆さんに訪れて欲しいと思っています。
その時のご参考になればと思い、私の経験を綴っています。
今回も台湾最南部のお話です。
墾丁国家公園の一部となっている素晴らしい公園が台湾最南部にあります。その名は
鵝鑾鼻(がらんび)公園です。
その日(2014年3月下旬)の午前から午後早くにかけて、墾丁国家公園の南仁山地区を歩いた私と案内役のR氏は、いったん恒春市街に戻って軽い昼食を摂り、私は宿舎に戻ってしばし休憩しました。R氏も自宅に帰って休んだ後、午後3時頃に再びR氏が車で迎えに来てくれ、「今から鵝鑾鼻にご案内します」と連れ出してくれました。鵝鑾鼻公園の鵝鑾とは、台湾原住民の中でも、もっとも南部に人口が多いパイワン族の人々の言葉で“帆”を意味する音に漢字を当てたものだそうです。鼻がついているのは、公園の地形の一部に海に突き出した部分があるところからなのでしょう。
台湾に五つある国家公園(国立公園)の中でもっとも面積の広い墾丁国家公園は、山から海岸部、そして海の中までを含んだ広大で、生物多様性に溢れたところです。
地形的にも高低差が大きいところが多いのですが、この鵝鑾鼻公園はほぼフラットな地形ではありますが、園内はとても広くて、多くの遊歩道や散策のルートがあります。
約300種を越える熱帯植物が自生し、奇岩、怪石、洞窟などが点在し、野鳥では多くの台湾固有種も見られるのですが、特筆すべきは渡りの時期に観察される各種のタカとアカモズが有名なのだそうです。
また南端には、墾丁のシンボルの一つとされる白亜の美しい灯台があります。フラットで多くの遊歩道があって見るべきものが多い、と言うことは、一般の観光客も多く行くところなので、この日も中国や日本からと思われる大勢の人の姿がありました。
私は録音が専門なので、人がたくさんいる場所はほとんど仕事(?)になりません。
と言うわけで、この午後は一人の観光客として、またあとで触れますがもう一つ私の個人的な目的もあって、この雄大ともいえる鵝鑾鼻公園での機会を経験することとしました。
墾丁国家公園・南仁山でもそうでしたが、ここでも公園の管理や入園者の安全を受け持つ仕事にはパイワンの人たちが多く働いている様子が見受けられました。
入り口を入るとすぐに芝生の大きな広場があります。するとすぐにR氏が足を止めました。彼が指差す目の前の芝生には一羽のヤツガシラがいました。R氏は野鳥写真の分野でも名前が知られる人で、私と台湾南部を歩く時はいつも大型のレンズを装着したカメラを携えている人でした。
彼はすぐに芝生の広場に腹ばいとなってカメラを構え、ヤツガシラを目掛けて匍匐前進します。私も姿勢を低くして彼に続きます。とうとう3mぐらいまで近づいて立て続けにシャッターを切ります。私もこんなに近くヤツガシラを観るのは初めてなので、コンデジで何枚か撮影しました。
私たちがこんなに近づいている上に、少し離れたところには一般の入場者が大勢いるというのに、当のヤツガシラ君はまったく気にしない様子で、夢中になって芝生の中にくちばしを入れては何かを啄ばんでいます。私はコンデジのファインダーを望遠側にして何を食べているのかを確認してみたのですが、それは小型のコガネムシのような甲虫類でした。
さて前述のように、この公園の南の端には有名で、とても美しい白亜の灯台があります。なだらかな丘の草地の上にその灯台があり、風景としてとても絵になります。
私たちがこの公園に行ったのは午後も遅くなってからで、しかも北側にある入り口からかなり遠い南の端にこの灯台はあったので、私たちが着いた頃には陽がかなり傾いている時刻となっていて、白い灯台のある建物に当たる日の光は幾分赤くなり始めていました。その柔らかい陽光に浮かぶ灯台と白い建物はまるで絵葉書のように美しく見えました。日本統治時代にはわが国が定めた“台湾八景”の一つだったそうです。
この灯台には台湾がたどった歴史が込められているのですが、建てられては戦によって壊され、また再建されては壊されるという過去があったといいます。日本により再建されたこともあったといいますが、それも太平洋戦争末期に破壊され、現在のものは戦後に台湾政府によって再建されたもののようです。
灯台を見終わった後、遊歩道に戻ると、“台湾最南点”と書かれた道標があり矢印があります。私には“最南点”の文字に強く惹かれる個人的な事情があったので、R氏に頼んでさらに道を南に進みました。すると間もなく風景が開けて海岸に出ます。
その海こそ私が特別な思いで眺めなければならない“バシー海峡”でした。
海岸近くには木製の展望台があって、大勢の人が海をバックに写真を撮っていたりします。私もR氏に海を背に一枚撮って貰った後、波打ち際に下りました。
そしてまっすぐ南の方向を眺めました。この波打ち際からおよそ180km先にはフィリピンのルソン島があるはずです。そのルソン島こそは私の最愛の父が先の大戦で命を落とした地にほかなりません。
戦後日本社会がすっかり復興し、日本とフィリピン両国の関係も良好な状態が戻った後、戦没者慰霊訪問団が何度もフィリピンを訪れたのですが、私は仕事に追われる日々で、願いを持ちつつもついに参加することができなかったのでした。
心ならずもルソンの山奥で(海軍なのに!)命を落とした父の無念を思って人生を送ってきた私にとっては、台湾最南点の波打ち際からまっすぐに眺める海の風景は、まさに万感迫る感慨がありました。靴が海水に濡れるほど精一杯バシー海峡に近づいたのは、父の魂に少しでも触れることが出来るのでないかと思ったからです。
あの日、あの時間のバシー海峡の波はとても穏やかでした。西陽が傾き、あたりに漂う穏やかな光と風は心地よく、微かに岸辺の小石を洗う小さな波の音は、全ての光と色とともに今も私の脳裏には大切に刻まれています。
なお、この日台湾の最南点の地に立ったそのおよそ10日後に、今度は台湾の最北点の海岸の砂浜にも立つことが出来ました。一回の旅で台湾の南北両最先端部の地に立てたことは、私の人生を通しての誇らしい思い出となっています。
繰り返しになりますが、台湾の自然はほんとうに素晴らしいです。中でも最南部はあまり紹介されていません、皆さんの記憶にぜひ留めて下されば幸いです。(おわり)
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