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日常やフィールドで出会ったいい話、困ったこと、奇妙な体験、ちょっと真面目な話など、みなさんの“野鳥風景”を掲載します。
話題や原稿をお寄せください。絶対実名主義の「くまたか」ながら、このページだけペンネームOK。鳥に関する由無し事をちょっと記してみましょう。話題は常時募集中

双眼鏡で野鳥を見る法

有働孝士 2020-06-24掲載

表題を見て、何を今さらと思う方もおられるでしょう。案外見過ごされがちなことだと思うのですが、実は双眼鏡ビギナーにとって最初のハードルが、目前の野鳥を双眼鏡に捉えるときの困難。ほとんどはここぞと思う場所を見ることさえできません。しまいにはどこを見ているのかも分からなくなります。結局、探鳥会では、スコープに入れてもらった野鳥を覗くだけで、ただ首の重りと化した双眼鏡を実地に役立てることもできません。

見られればそれでもいいじゃないかというのは早計。自分の双眼鏡で視野に入れ、野鳥と対峙して初めて観察の実感と喜びが手に入ります。実にこうした感動の大部分は自らの手で見たことへの達成感が占めています。というわけで、拙論は、双眼鏡ビギナーへの提案案件です。

ここでもうひとつの課題は、指導者がこの困った状況の解決法を伝授できないこともあるかと思います。慣れれば使えるようになるよ、といったその場しのぎでなく、分かりやすいテクニックとして伝授できなければ、上から目線で口幅ったいことながら指導者としての立場が危うくなります。

そこで、その方法です。水辺でも山中でもよいのですが、ここでは山中の一本の木を想定します。木のてっぺん付近に目的の野鳥が止まっています。この野鳥を双眼鏡の視野に捉える手順です。

  1. まず、体を目的の野鳥(のいる木)に向けて立ちます。
  2. 次にその野鳥と自分を結ぶ一本のまっすぐで強固な直線を仮想(仮定)します。
  3. 改めて、その線と“直角になるように”(ここ重要)に体の向きを構えます。
    このとき、両足は開き気味にして確かな足場を作り、体が揺れたり向きが変わらないよう安定させることが大切です。あたかも1枚の板になったつもりでしっかりと立ち、遠くの野鳥と相対します。先ほどの仮想の直線はまっすぐ野鳥と自分を繋いでいますか?
  4. その状態を保ったまま、双眼鏡を下向けにして、まず10mくらい先を視野にいれます。ピントを調整しながら、そのまま仮想の線に沿って“すくい上げる”ように双眼鏡を動かし、目的の木のあたりまで視野に入れたらあと一息。野鳥はこの線上のどこかに必ずいますから、ゆっくり探します。

実はこの姿勢、3点支持で双眼鏡が保持されるので、上下動は直線として保証されます。よって、双眼鏡を左右に動かさないようにしましょう。仮想の線から外れ、目的の場所を見失ないます。自分の身体を基準にして、対象の野鳥と対面(直角)に向き合うことが、基本です(直角対面を略して直対法といま命名)。こうすることで、他の余分な要素を一切排除し、きわめて複雑な状況を、野鳥を含むたった一本の線分に単純化できるのです。

双眼鏡の狭い視野の中では仮想の線を想定しづらいと思いますが、体の向きさえ不動なら、双眼鏡の視野は常に野鳥を通る線上にありますから、もう線は意識しなくても大丈夫。双眼鏡をすくい上げるとき同時にピントの調整が難しいかもしれませんので、あらかじめ若干遠くにピント合わせておけば、見つけやすくなるでしょう。野鳥を見つけてから、改めてピントを正確にあわせれば良いのです。もし仮想線上に野鳥が見つからないときは、すでに飛び去ったか、あるいは見落としているかです。経験的には見落としている場合が多いようです。

永遠のビギナーである筆者もいまだにこの方法を使うことがあります。少し複雑な遠景に野鳥がいるような場合はとりわけ有効な方法です。干潟などではどこも似たような風景が広がっており、目的の点のようなシギ類などを視野に入れる場合や青空のように目印のない空間でタカ類を見るときなども役立ちます。また直対法はスコープでも使えますし、超望遠コンデジでも応用可能です。

双眼鏡を扱い慣れた経験者は、実は無意識に直対法のうち仮想線を除いた部分を実践しているように思います。という訳でほとんど瞬時に双眼鏡で野鳥を捉えるベテランには無用の技法でしょうが、大切なことは、ビギナーに方法として言葉で表し、伝授できるという一点に尽きます。必要なときには、どうぞお役立てください。

ビギナーついでに追伸。双眼鏡初体験の方に、これだけは注意していただきたいことです。それは、決して太陽を見ないこと。いつも太陽の位置を頭に入れておき、絶対視野に入れないよう気を付けます。ウッカリしていると両目に重大な損傷を与えます。指導者の方で特に小学生などを対象とするときは、このひとことを添えるようおすすめします。また、双眼鏡は極力首から下げておきましょう。手に持ったり肩に下げていると、つい固いものにぶつけ故障(光軸の狂い)の原因になり、修理に余分な出費がかさみます。

(「野鳥だより・筑豊」2020年7月号より転載)

(2020-06-24掲載)

やじろべえさんからの呼び掛けに

鐡 直次郎 2010-07-11掲載
(日本野鳥の会筑豊支部会員)

やじろべえさんからの呼び掛けにとペン?いやキーボードを打ちはじめた。

論旨が的を得ないかもしれないが、私なりに思うところを語りたい。

まず、私が野鳥に興味を抱き始めたのはもう30年以上も前になる。野球チームの仲間と英彦山探鳥会へ参加し、当時の事務局T氏のプロミナー(興和の標的確認用の望遠鏡、当時野鳥観察用に転用?利用されていた望遠鏡でかなり高価であったとの思いあり)でイカルを見せてもらった。以来、初めて見る鳥の姿、聞く鳥の声に一喜一憂してきた。

鳥を見に、自分で出かけたり、先輩に連れて行ってもらったりして、ライフリストが一種増えるごと、野鳥との出合いの楽しみが増していった。また、最初の双眼鏡は親父が競馬用に使っていたV社製、親父は双眼鏡への配慮には無頓着、光軸がずれており、レンズも暗かった。T氏や先輩のUさんの持っているN社製の双眼鏡を借りて鳥を見ると視野が広く、しかも明るい。鳥を素早く発見する彼らの術は道具にありと誤解を含めそれが欲しくなった。発見の極意は道具だけではないと知るのはずっと後になるのだが、早速購入した。道具を新しくすると試したくなり、頻繁に野や山、海岸に出かけた。今考えると、一番楽しい時期ではなかったか。しかし、欲望とは深くなるもの。特に海岸へ出かけるようになると、双眼鏡の限界を知ることとなる。望遠鏡購入へと流れができてくる。

そして、カメラを手にする。鳥を見る楽しみから、鳥を撮る醍醐味を知ることになる。またしても道具から入り、持っていたM社製カメラからレンズの種類が多いN社製カメラに替えた。カメラを手にしてから、鳥を見ることと、鳥を撮ることの二本立てとなる。初め、この二つの行為は同じだと思っていたが、どうも似て異なるものであった。鳥を撮る、それは被写体としてのこだわり、執着であったり、とどのつまりは作品制作の手段である。野鳥に会いにいって、いなくても残念!では済まなくなる。大袈裟に言うと「絶対に撮りたい!」という欲望が生じる。

前置きが長くなってしまった。今回、提起された野鳥情報の発信、及び管理の問題は、少なからず30年前も生じていた。その鳥を撮りたいという欲求、その種の出現率が低く、珍鳥度が高い時ほど気を使った。問題なのは撮る側の量と質。特に、やじろべえ氏が言っておられるように現況の野鳥カメラマンの増大は想像以上である。量が増えると質の方も下がってくるのは世の常である。

そこに出現した野鳥はアイドルでもなければ、モデルでもない、「私を見て、写してね」と出現したわけではない、たまたまの偶然の賜物である。「出現」もそうだが「発見」もそうなのだ。例え、いつも歩いている自分のフィールドであっても、相手は野生動物である。誰が第一発見者なのか誰にも分からず、序列などはない。勿論、第一発見者が絶対の権利者ではない。

私はこう考える、情報を発信しないことを選択することで、個人的にその鳥を一時的に独占できるし、素晴らしい判断である。何も問題がない。やがて、鳥は移動し、いなくなるのだから。次の場所でまた同じことの繰り返しとなる。一方、情報を発信することで、その鳥の独占権は消滅する。伝達先を限定しようとしまいと同じである。たとえ一人であろうとも情報を伝達したことで、発見者の独占は消滅してしまう。

知らせる義務はないが、知らせない権利は観察者(=発見者)には認められるべきと考える。その権利を自ら放棄(情報の発信を)してしまったならば、次の人(受信者)はこの権利と責任を背負うことになる。責任とは、鳥への影響であり、周辺への配慮である。このことは伝達者全体の責任となる。

珍鳥と呼ばれているクラスであれば(やじろべえ氏の文中にも新幹線で…の記述あり)、ネット社会ではあっという間に情報は伝播する。そのことを考慮し、あとは自身の判断である。勿論、「や・さ・し・い・き・も・ち」を実践できるよう、互いを励まそう。

私の独善的結論。

珍鳥を発見した時は「知らせない権利」を執行せよ。知らせる義務など生じないのだ。知らせてはならないというのではない。ただ、知らせない権利、それを自ら放棄したならば、生じうる事態に責任を背負い、責任を遂行せよ。情報を共有した写真仲間は共同体であれ、情報を発信したならば共同で責任を背負い、発信しっぱなしはなしにしよう。

自分の経験上、カメラを持つと人が変わってしまう。鳥を見て森を見ないのである、被写体の前の枝にイラッとしたりする。けっして珍鳥ハンターとなってはならないと自戒し、鳥だけを撮るのではなくて、鳥を含めた風景を大事にしようと決めている。

醍醐味とは仏教用語であり、最高の味を意味する、醍醐とはチーズの様なコクのある食物とされている。ただ撮るだけでなく、コクや旨味を感じて、そう、野鳥と出会える環境に、風景に、感激し、楽しみ、感謝したい。

本当に的を射てはいない文章となってしまった鴨?

(くろがね なおじろう)

鳥情報の公開について一考したこと

やじろべえ 2010-06-29掲載
(日本野鳥の会筑豊支部会員)

最近ある人から「筑豊支部の発行したガイドブックに掲載された探鳥地ガイドのお陰でカメラを持った人が大勢おしかけてきて処構わず入り込んできてとても迷惑している。野鳥の会は環境破壊をしているに等しい」と云うようなことを地元の人が言っていると聞いた。

最近の野鳥撮影はいわば隠れたブームというのか、野鳥カメラマンがやたらと増大している。団塊の世代の人達がなだれ込んできている感じを受けます。発達したネット情報で全国にあっという間に広がる。昨年のことだった。下関にカワビタキの撮影に行った時のこと。町のど真ん中の小さな川の橋の周辺に30人近くのカメラマンがずらりと並んでいた。交通量も生半可ではない場所で通りすがりの車も「何事ですか?」と何人もの人に尋ねられた。聞くところによると、この状態は10日近くも続いたという。同じ趣味を持つ者同志の連帯感とでもいうのか日頃知らない人と言葉を交わすことのない私だが、その中の一人は「いま東京から新幹線で駆けつけた。」と言っていました。

今回この原稿を書く気になったのは、この6月初めに某所にレンカクがやってきた。この連絡を会員外の古いベテランのカメラマンから受けた。私がいつも見回っている場所だ。当然のことながら報道管制を敷いて他に漏らさないよう打ち合わせた。この場所に何十人もの人が集まると(情報がレンカクであるから何百人かもしれない)大変なことになる。農繁期のお百姓さんの作業を妨げることは必定。しかし、考えてみれば私も野鳥の会の一員、であれば、野鳥の会の人にこの情報を知らせるのは当然のことに思える。他の会員を信用しない訳ではないが知らせる訳にはいかぬ。そんな思いを抱いてレンカクがこの場所から飛び立っていく日を待ちました。鳥の好きな人たちにとって珍しい鳥は誰でも見たいと思う。でも何だかおかしいと思いませんか?見付けた人だけが独占的にその権利を主張できる。確かにそうだとも思えます。鳥を撮影したり、観察することになんだか不必要な制約がくっついているようで喉の奥に刺さった棘が取れないで苛立っているような気持ちです。

初めに書いたようにマナーの悪いカメラマンやバーダーはいます。そんな人のために真面目な観察者や地元のお百姓さんや関係者の方々が迷惑していることも事実です。そのためかどうか詳しい事情を私は考えたこともありませんが、やたらとカメラマンのマナーの悪さについて言われ、繁殖中の写真はいけない、近付き過ぎてもいけない、脅してはいけない、等々、写真を撮る人にとっては窮屈この上ないことが繰り返し言われています。でもこれらのことは間違っている訳ではありません。人間が共同の社会生活を営んでいくために様々な制約を加えられた中で生きてゆかなければいけない。だからこのこともその制約の中の一つ。だが、今の論調は私にはカメラをやるから鳥の生活が脅かされ、種の保存を妨げる原因の一つだと言わんばかりの(誰もこんな言い方はしていないが)論調に思える。

今、マナーの悪いカメラマンの多くは野鳥の会には入っていない新進の素人カメラマンが多いのではないかと私は思っています。デジカメの進歩による超望遠レンズの使用が容易になったこと。デジスコによる安価な撮影設備と相まって急速に普及している。

つい先日のこと。平尾台で車の中からカッコウを狙って待ち受けている時、私の車の後ろに乗り付けて来た知らないカメラマン二人が車から出て、私たちがレンズを向けている方向にずかずかと歩いていく。これには驚いた。先に来ている人に気を使うなど考えもしない無神経な人達だ。しかも500ミリか600ミリの大きなレンズを三脚も持たずにどうして鳥の写真が撮れるというのだろう?かなりの年配の人達だった。四駆に乗って迷彩服を着て高価な望遠レンズを持って、いっぱしのカメラマン気取りで我が物顔で歩き回る。まさに現在の世相そのまま!

長々と前置きを書きましたが私がここで言いたいのはこんなカメラマンのマナーや鳥の情報を会員同志がどのように考えたらよいのか、またカメラをやらない会員の方々がどのように野鳥の撮影について考えているのか知りたくなったという単純な思いではありますが、鳥情報の公開と野鳥の撮影についていろいろな意見があると思いますので、この誌上で色々な誌上討論をしてみたらどうだろうと思います。どうかご意見をお聞かせください。

(日本野鳥の会筑豊・会報「野鳥だより・筑豊」2010年7月号・通巻第389号より転載)

※著者のご希望により原稿内容の一部を変更しています。

会報「野鳥だより・筑豊」誌上に呼びかけられた討論ですが、本サイトも加わりたいと考えます。本サイトへの掲載を前提にして、ご意見をお寄せください。ご希望により匿名(ペンネーム等)可能ですが、その際は必ず本名とメールアドレスを添えてください。ご都合により[そんぐぽすと]もご利用できます(こちらは、本名・メールアドレスは非公開をおすすめします)。(サイト管理人)

シギ・チドリへ思う

古城英彦 2010-03-26掲載
(日本野鳥の会筑豊支部会員)

私は知る人ぞ知る、シギ・チドリ大好き人間です。

そのシギ・チドリが春の渡りの本番を迎えようとしています。しかし、シギ・チドリと云うと、似たような姿かたちをしていて、尚且つ、地味な色合い(冬羽や幼鳥羽)なので、識別が難しいとされ、一般のバードウォッチャーには人気がありません。某野鳥雑誌の3月号の特集の中で、〈識別が難しい種類は〉の項目で、シギ・チドリ類がダントツで1位でした(以下、2位猛禽類、3位カモメ類、4位カモ類・ムシクイ類、6位ヒタキ類、7位海鳥類・・・)。私に言わせると、飛翔時の猛禽類、それにムシクイ類やヒタキ類のメスも結構難しいと思うのですが、こう云う結果になったのは、ひとえに関心度の違いのように思えます。

猛禽類は格好がよく、狩りに醍醐味があります。野山の小鳥類は姿や行動が可愛らしく、色も綺麗な鳥が多いです。それに比べ、シギ・チドリ類は前述しているように、色が地味(特に冬羽)で、似たような姿かたちをした種類が多い。だから、『シギ・チドリはチョット』と云う人が多いように思えます。でも、決して難しくはありませんよ。要は、各々の種類の見分けるポイント、行動、習性、及び生息環境さえ、しっかり把握しておけば、まったく難しくはありません。(コチドリ、イカルチドリ、シロチドリ、メダイチドリ)(ムナグロ、ダイゼン)(トウネン、ヒバリシギ、ウズラシギ)(ハマシギ、サルハマシギ)(コオバシギ、オバシギ)(ツルシギ、アカアシシギ)(クサシギ、タカブシギ、イソシギ、キアシシギ)(オグロシギ、オオソリハシシギ)(ダイシャクシギ、ホウロクシギ、チュウシャクシギ)以上、見分けにくいと思われる種類を( )で纏めました。貴方も識別にtryしてみてください。

では、前置きが長くなりましたが、本題はここからです。この識別が難しいとされ、バードウォッチャーからも敬遠されているシギ・チドリ類ですが、近年著しく減少している鳥たちです。原因は、繁殖地の人為的影響、渡りの途中や越冬地の生息環境(干潟や水田などの湿地)の消滅です。〔※主な原因は開発(埋め立て、農地の荒廃など)〕。

現に私が一番大切にしている干拓地でも、この4、5年ぐらい前から、かなり少なくなってきました。5、6年前ぐらいまでは、常にトウネンやタシギが30羽ぐらい、タカブシギが20羽ぐらい渡来していましたが、近年はトウネン、タシギは数羽〜20羽程度、タカブシギに関しては一桁が多くなりました。また、エリマキシギも毎年2、3羽来ていましたが、近年は稀になりました。それと過去には、比較的渡来数の少ない種類のヒバリシギが50羽、オグロシギが11羽、セイタカシギが7羽、ツバメチドリが7羽などと云う記録もありました。他には、珍鳥の分類に入るオジロトウネン、サルハマシギ、キリアイ、アカアシシギ、コシャクシギなども時々は顔を見せてくれていました。『本当に昔は良かった』と云う感じになってきました。

勿論、この場所でシギ・チドリ類が著しく減少している原因は、温暖化などの地球環境の変化などの要素も当然あるでしょうが、やっぱり一番の原因は、前述したように繁殖地や渡りの途中の開発による生息地の消滅や、この場所のように農地の荒廃などの人為的な生息地の消滅が大きいと思われます。本当にこれ以上、彼らの生息環境が奪われないように願うばかりで、少しでも長く、多くのシギ・チドリを観ていけたらと思っています。

(日本野鳥の会筑豊・会報「野鳥だより・筑豊」2010年4月号・通巻第386号より転載)

私の環境保全、環境改善活動について

中山和也 2009-11-18掲載
(筑豊支部、北九州支部会員)

野鳥の会に入会した当初は、スズメやカラス、ツバメ、ハトなどしか知らなかったのですが、探鳥会に参加するうちに、だんだんといろんな鳥を知るようになっていきました。通勤で折尾駅まで歩く間でも40種以上の鳥が見られることがわかり、身近なところにも鳥ってこんなにいるのかと思うようになっていたのですが、探鳥会では最近鳥が減っていると聞いて、身近な環境を守っていかなくてはと思うようになっていました。ちょうどその時、北九州市の市政だよりにビオトープ作りのお知らせが載っていましたので、早速応募しました。その活動を主催していたのが、私が今活動しているNPO北九州ビオトープネットワーク研究会です。

この会は、北九州市立大学国際環境工学部の先生を中心に、大学、企業、行政、市民・学生等で組織された団体です。活動の内容は、大きく3つに分けられます。竹林の整備を行う「竹林のがっこう」、小学生の親子に田植えや稲刈りなどの体験を通して、田んぼの大切さについて学んでもらう「田んぼのがっこう」、江川・洞海湾の水辺を考えるをテーマに、間伐竹とムラサキイガイを用いた洞海湾の水質浄化や洞海湾干潟の清掃、絶滅危惧種シバナの保全などに取り組んでいる「水辺のがっこう」です。

ここでは、3つの活動の中でも中心となる「竹林のがっこう」の活動を紹介します。この活動は、平成竹取伝説と銘打って、毎月第2土曜日に、北九州市立大学国際環境工学部のある若松区ひびきのの周りにある里山などで、そこにはびこっている竹を伐採し、里山などの再生を図るものです。伐採した竹は、チップにし、カナダ等から輸入しているピートモスという苔の代わりに、法面の吹きつけなどに利用しています。竹を切るのは比較的楽なのですが、長い間放置され大きくなった竹はかなり重たく、運び出すのが非常に大変です。午前中3時間くらいの活動ですが、終わった後は、汗だくで翌日もしくは翌々日に、筋肉痛になりこともしばしばです。しかし、荒れ果てた里山がきれいになっていくのを見ると、すがすがしい気持ちになりますので、これが活動の原動力になっているのだと思います。

竹を切った後の里山は、竹に侵食され、ほとんど木も生えていない状態になっていますが、しばらくすると日が当たるのを待っていたかのように、土に埋もれていた種が発芽し、木も生えてきています。しかし、竹の繁殖のほうが早いので、竹林に戻らないよう、しばらくの間は、定期的に竹を伐採していかなければいけません。竹で覆われていたときは、ウグイス以外ほとんど鳥もいないような状況でしたが、メジロやヒヨドリなどが少しですが、やってきているようです。植物については、いのちの旅博物館の学芸員の先生が調査していますので、鳥についても一度確認したいと思っています。

竹の伐採をするようになって、車などで走っていて、竹で荒れ放題になったところが多いことに気がつきました。この活動で整備できているのは、このうちのほんの一部にしかなりませんが、継続は力なりという言葉通り、これからもこのような活動を続けていき、さらには広げていき、微力ながらも、鳥をはじめいろいろな種類の生物や植物が少しでも生息しやすい環境を守っていければと考えています。

その他にも、この会のつながりで、若松の有機農家で毎月第1日曜日に農業ボランティアで草抜きなどをしたり、遠賀町の有機農家にも、定期的というわけではありませんが、田植えや稲刈りなどの手伝いなどにも行っています。体力的には、きつい仕事ですが、ウグイス、ホトトギス、ヒバリ、カワラヒワなどの姿や鳴き声を見聞きながらの作業は、のどかでもあり、楽しくもあります。無農薬ですので、田んぼや畑には、虫なども多く、そのためか、鳥も他のところよりも多いのではないかと思います。

遠賀町の田んぼの水路には、絶滅危惧種のニッポンバラタナゴやメダカ、ウナギなども生息していますし、サギ類、カモ類やバンなども田んぼに現れていますが、以前はよく見られたサシバは、今は見られないようです。里山などの荒れ、田んぼや畑の減少などが原因かもしれません。田んぼや畑は人の手がはいっていますので、自然環境とはいえないかもしれませんが、今絶滅しかけている鳥などの生物や植物の多くは、田んぼを棲家にし、あるいは利用しているそうですので、この活動もそれらの生息地の保全につながっているのではないかと思っていますので、今後も続けていきたいと思っています。

日食と野鳥を観察してみよう

有働孝士 2009-06-26

09年7月22日(水)

日食

開始 09:38 > 最大 10:56 > 終了 12:18国立天文台 暦計算室

7月22日の日食は、福岡県でも最大食分で89%の部分日食が観察されます。

皆既日食では、突然の日暮れとカン違いするのか、動物園において動物が騒ぐ事例が報告されています。福岡県では部分日食とはいえ約9割も欠けたとき野鳥にどういう影響が現れるか、右の事例を考えるとたいへん興味深い観察が期待されます。みなさんの観察報告をお待ちしています。

(数値はいずれも田川市・飯塚市・直方市の場合)

ご注意:日食の観察に当たっては、必ず「日食を観察する方法」をよく読んでください。目の前にフィルタ類を置いても、太陽の直視はたいへん危険です。なるべく間接的な方法で安全に観察してください。

(写真:09-07-22 11:04@飯塚市、記事原案:高橋和元さん)

下記は、今回の日食に関連したリンク集です。

  • 日食を観察する方法 目の保護を第一に安全な方法で。
  • つるちゃんのプラネタリウムでは、図による食進行のシミュレーションが見られます。福岡県では、太陽を時計に見立てると1時の部分から欠け始めます。
  • 宇宙から地上の日食はどう見える? 地球にさした月の影は、地上を時速2000キロで移動するそうです。天文現象が身近で起きると、星同士の途方もない相対速度や超巨大な質量、サイズに圧倒されます。
  • 宇宙から見る月の影 今回の日食のために用意された、人工衛星から地上に映る日食の影をみる実況放送のページです。
  • 動物は日食で騒ぐか? 「皆既日食になる直前。鳥が一斉に鳴いたり、ライオンに落ち着きがなくなり、歩き回るといった過去の例が報告されている」(西日本新聞09-06-10より)
  • 日食とは 日食の分かりやすい説明です。次回は2010-01-15(日没時なので見づらい?)、2012-05-21南九州で金環日食。

日食のいちばんの不思議は、太陽と月の見かけの大きさ(視直径)がほとんど同じだという偶然です。太陽は月の400倍の直径を持っていますが、たまたま地球・月間の400倍離れているため、ほとんど同じ大きさに見えるのです。

..と言うのは受け売り。さて、太古において月はもっとずっと地球に近かったのですが、だんだんに遠ざかっており、現在でも一年に3cmづつ離れているそうです。とすれば、現在の視直径一致は、経過の途中のどこかで必ず起きることであって、実を言うと偶然でもなんでもないんですよね。偶然の不思議は、むしろそんな時に居合わせた私たちの存在なのでしょう。

※支部では、日食のためのイベントは行いませんが、同日14時から支部事務所(飯塚市)において運営委員会が開催されます。会員ならどなたでも参加できます。天文ショーの感動と野鳥の様子について話しませんか?

手乗りヤマガラ

山田順子さん(談話) 2009-06-18

ヤマガラ

「何気なく立ち寄ったあるところで、驚くべき光景を目にしました。

地元の人らしいご婦人が、手にエサをのせて鳥を呼ぶと、どこからともなく一羽のヤマガラ飛来して、手のひらに舞い降り、エサをくわえ飛び去っていったのです。

驚いて見ていると、ふたたび飛来してエサをくわえ、どこかへ飛んでいきます。これをエサがなくなるまで繰り返しました。

ほかにも野鳥はいるらしく、ご婦人は“あんたたちは、来きらんき、ここにおいとくね”といって、良く分かる場所にエサをおいていました。

ヤマガラの仕草があまりにかわいかったので、同じように手を差し出してみると、背後から頭越しに飛んできて手にとまりました。空っぽの手のひらを柔らかくついばんでいましたが、エサは無いと分かったらしく、あきらめて飛んでいきました。

この日はそのまま帰りましたが、どうしても会いたくなり、他日、今度はヒマワリの種をたずさえてくだんの場所を再訪しました。

なるべくヤマガラを驚かさないように気をつけながら、携帯電話のカメラを構えたまま、そっとヒマワリの種を差し出してみます。

すると、今度も目ざとくエサを見つけたヤマガラが飛んできてくれました。

さすがに手のひらの上で食べたりはせず、いったんどこかに運んでから、再びやってきます。

写真は、そのときの様子を写したものです。レンズの前10センチくらいまで寄ってきて、携帯のカメラを別に気にする風もありません。

いつも双眼鏡でしか見たことのない小鳥が、指に止まって手のひらのエサを拾っているのが、にわかには信じられない気分でした。

餌付けについては、賛否両論があり慎重にしなければなりませんが、愛くるしいヤマガラの魅力にはどうしても打克つことができませんでした。

あまり人馴れさせるのも怖い気がして、これ以降はもう訪れていませんが、今ごろどうしているのだろうと気にかかります。

場所は筑豊の某所、時期はちょっとはっきりしませんが、おととし以前だったように思います。」

(本記事は山田さんの談話をもとに作成しました。掲責・文責、その他の不都合の責はすべてサイト担当有働にあります。)

写真提供:山田順子さん

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