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有働孝士 2020-11-10掲載
今年(2020年)7月「フィールド図鑑 日本の野鳥」第2版(文一総合出版)が発売になりました。「フィールドガイド 日本の野鳥」増補改訂新版(公財・日本野鳥の会)と合わせ2種類の野鳥フィールドガイド図鑑の最新版が出揃いました。これらの図鑑は従来のそれとは一線を画す新しい流れの上に生まれた図鑑、特別で別格です。筆者の考えるフィールドガイド図鑑とは、分布図と野外識別のための解説文およびカラーイラストにより、国など特定地域の全種を網羅した図鑑。すなわち、本の造りは野外携行に向いたハンディサイズで、左ページに分布図と野外識別の解説、右ページにイラストという構成が機能的で望ましいスタイルです。冒頭の2冊は、国レベルの全種網羅でこの条件を完備しています。
フィールドガイド図鑑がどのように新しく別格なのでしょうか?拙論の立場を明確にするため旧来の伝統的な図鑑とフィールドガイド図鑑の違いを比べてみましょう。旧来の図鑑は、端的に言えば“同定”のための図鑑です。野外で捕獲や採集した標本を研究室や書斎に持ち込み、羽の数や模様ほかを詳細に調べ、疑問の余地なく種を確定するための参照資料が旧来の図鑑。よって同定には必ず確かな証拠標本(再現資料)が必要です。一方、フィールドガイド図鑑は、“識別”のための図鑑です。野外現場で目前の対象の特徴を確認し、種を特定するためのガイドであり参考資料となる図鑑です。識別で求められる条件は観察を元に種を確定した“証言”です。必ずしも証拠が必要ではありませんが、種によっては識別根拠が必須となる場合があります。
「同定」と「識別」にどんな違いがあるのでしょうか。しばしば野外現場で確実に観察し識別したときちょっと気取って「同定した」などとよく耳にします。あたかも同定と識別には大した違いなど無いかのようです。しかし、同定には証拠(通常は標本)が必要です。よってただ識別しただけのものを同定と言うのは無理筋です。確かな証拠を示すことができず客観的な証明ができないからです。一方、識別は一種の証言と見ることができます。証言とは、真実を述べており言説に虚偽が無いことを本人が保証するものです。野鳥の会では、通常特に疑わしい点が無ければ信じるのが原則です。このように同定には証拠が必要であり、識別は証言により確かさを保証します。この二つの言葉は意味も用途も異なります。もちろん何をどう表現しようが、それはご本人の自由ですが、誤用は避けたいものです。
昔、筑豊野鳥の会(本会の前身)に入会したてのころ、外国語など読めもしないのに洋書を扱っている書店をひやかしていると、イラストで識別点を丁寧に教えてくれる野鳥図鑑を発見。野外携行に向く手頃なサイズ(後の「フィールドガイド 日本の野鳥」よりわずかに大きい)に専門書にしてはカジュアルなソフトカバーというのも良い感じでした。これが日本専門の野鳥図鑑なら即買いですが、件の本は英語のうえ多分一生無縁なヨーロッパエリアのもの。内容は、見開き左に分布図と野外における識別点の説明、右ページには野鳥のカラーイラスト。当時、そのアカ抜けた構成に目を奪われました。しばし悩んだ末、野鳥の絵本にもなるじゃないかと理屈をつけレジに持参。積ん読本としてわが本棚に迎えました。
それから10年後の1982年、(公財)日本野鳥の会が出版した待望久しい「フィールドガイド 日本の野鳥」に出会いました。初版は本格装丁のハードカバー本でしたが固い表紙は野外での取り回しも良く案外実用的で悪くありません。拙文冒頭太字のお約束をきちんと備え、“決定版”との触れ込みどおり気合いが入った記述内容に編集者の本気を感じました。美しいフィールドガイド図鑑を日本語で読めることが夢のようでした。あれほど重用していた通称“連盟の図鑑”こと「野外観察用 鳥類図鑑」(日本鳥類保護連盟)はあっさりと用済みになりました(ごめんね)。
世界を見渡しても、自国語で自国をフィールドとするフィールドガイド図鑑が出版できる国はそれほど多くはありません。当時世界第2位の経済力を誇り、自国語で小説を出版、発売できるほどの豊かな言語環境を持つ国が、これまでフィールドガイド図鑑も出版できていなかったことは恥ずかしいと言うべきでしょう。フィールドガイド図鑑の刊行はその国の自然環境文化のレベルを示す指標といっても過言ではないからです。出版を専門としない(公財)日本野鳥の会が、意気を示した“決定版”の刊行は、わが国初のフィールドガイド図鑑として、またそれまでの図鑑とはまったく異なる新しい概念と方向性を示し、それらが相まって歴史的な偉業となりました。
その後、野鳥をはじめ「フィールドガイド」を冠する野草、昆虫等他分野の図鑑が続々出版され、書店の図鑑売り場では今や一ジャンルを形成しています。ただし、どの図鑑も本文冒頭の条件(太字)を備えているわけではなく、イラスト(図)の代わりに写真で代用されていたり、分布図が無い、旧来の図鑑から横流ししたような詳細記述のみで類似種との見分け方もなく、まるで野外識別用になっていない、何より全種が収録されていないなどのいずれかの不満足があり、流行りだからつけてみた風の「フィールドガイド」がただの売り文句になっているのはたいへん残念です。
フィールドガイドとは“野外現場での識別”の手引であり、自然を私物化しない“野の鳥は野に”という指針を具体化したツールです。さらには、私たち観察家共通の拠り所となる観察・識別思想の拠点です。標本コレクションが主目的と化した古い博物的手法のような採集を排し、いまやあるがままの自然を観察する野鳥の会発の新しい手法、“識別”が市民権を得ました。まさに、野鳥の会による真正フィールドガイド図鑑が先導した非常に好ましくも画期的な道筋です。
日本各地の支部や会では、自会の活動エリアの野鳥解説本を発行しています。日本野鳥の会筑豊支部(本会)でも過去3冊の本を発行しており、うち2冊は書店に並ぶ商業出版物として刊行した実績があります。しかし、多くは写真が中心のガイドブックであり、時代の先取りとなる「フィールドガイド図鑑」形式ではありません。ズバリ!本会から「フィールドガイド図鑑 福岡県の野鳥」の刊行はいかがでしょうか。この事業に理解と賛同が得られ、スタッフが揃うなら申し分ありません。それが不可能なら、どこか地方の出版社で企画してくれないものかと虫の良い願いをつぶやいてみるばかりです。
(「野鳥だより・筑豊」2020年11月号より加筆修正し転載)
(2020-11-10掲載)
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